終の棲家と大腿骨頸部骨折
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常軌を逸した物騒な事件がおきている。

         訓練されたシェパードを配置することを提案したい。

      動物的な感で一声命令すれば人間より敏感に反応して拳銃を奪われることはなかったかも

警察署長、他一人も、小学校の警備員も犠牲にならなかったかも!

 並々ならぬ嫉妬深い人間、法学部の田○先生が温泉リストを持ってきてくれた時、ピタぁと寄り添い私も欲しいと、コピーしますよ、と私・・・彼女曰く、コピーじゃだめ、

               彼女の夫はその場にいなかったが(・・。)ゞ  

 

   嫉妬深い人間は煩わしいもの・・・子供の世界でも例外ではなかろう、

 

            私自身は忙しくあちこち飛び回っていたが研究室の高○賢子さん

    当時学生にパソコン指導、高○さん学生にモテモテ、 

     これに小夜子やきもち、じぃーとにらみ続ける、

          その視線に耐えられず本棚の陰に移動

 

母親、父の次は姉

私より3年、年上の姉(1929~2017)は 戦後、父の叔父、林三郎の紹介で新宿の外国人相手の洋装店で働いた。

  お蔭で私には外国製の美しい生地ゃセーターが贈られお花の先生に褒められたもの(*^-^*)

  愛子姉には様々な場面でお世話になっている、

7才、七五三の祝いは着飾ってお参りが一般的だが貧乏人の子沢山の我が家にそんな余裕もなく、帽子が欲しいと泣いていた私のそばで見守っていた光景は今も忘れない。

   帽子を買っていれば片耳聞こえなくなることは避けられたであろう。

 

 また、当時横浜桜が丘で下宿中 急性肝炎になったとき、新宿・高野のトマト持参できてくれた。

     次はバセトー病手術の際、妹岩子と共に付き添ってくれたのも愛子姉。

 

 愛子さんは老田さんの紹介でj○○敏夫と結婚、姑には散々いびられ、

 長女出産前、バカな子が生まれると言われ中絶寸前、

 その子晶△はバカどころか薬学部特待生で月謝は大学持ちニコニコ 

            最も頼りになる姪だから、遺言執行人に依頼している。

 

 愛子さん、お茶を立て歌を詠み、その晩心筋梗塞で死亡と聞く、優しい姉であった。

 3人の娘達は仲良く、○○愛子作品集を作っている。

  作品集から抜粋

    生涯の大部分を○部で過ごした母の脳裏はいつも庭の花や植物、鳥たちでいっぱいでした。

 この作品集は、そのような母の世界を描いたものです。

 母と過ごした、実に楽しい時間は、今は思い出となって私たちの心の宝物です。

 その思い出を少しでも形に残そうと、この本を製作するに至り、娘3人で母の作品を選びました。

  斑入りのススキ 風にたなびいて 穂先がなびく 十五夜さんは 近いのかな       

   

         はなにらを まとめて活けㇼ 見事なり

 

                      伏見での 散歩コースは 酒蔵へ

母からの手紙の次は父について 

父(1896~1996)は長男でありながら○三郎、次男は△太郎、三男は一美、みい という妹の四人兄弟

父の父親、・・二郎(1872~1930)は養子、福島に妾、〇三郎は生涯、〇二郎の写真は額にしたことなし、母親、たか(1874~1939)の写真のみ大きな額に入れていた。

 〇三郎は名主の坊ちゃん、・・館で燃料店を営み、当時は車も無し、自転車とリヤカーで30度位の坂道を登らなければならなかった。

「寝るより楽があらばこそ浮世のバカは起きて働く」は父の口癖だったから良く覚えている。

   この・・二郎と父の叔父たち3人は東京へ・・・

 ○三郎は女房運は良く9人の子をもうけた、

次男、△太郎は後妻(池上本門寺の僧侶の妹)をして金儲けは天才的だが全然面白くない人 と言わしめるほど、その長男秀は渋谷道玄坂の我が家は住むところではないと貸して自身は横浜辺りに住んでいるらしい、△太郎は妹二人も麻布に住まわせた。

 

. 母(1899|~1997年)は筆まめで 手紙はゴッソリとってある

貴重なのでブログに保存したい。  順不同

お忙しいところまことに申し訳ありません、三菱信託の通知が四月に来たようですが私の方から通知するより神戸の住所を知らせ連絡が行くようにしてください。それに印鑑証明、戸籍抄本、住民票抄本、印鑑今度帰るとき持ってきてください。

毎日暑いですね、家に帰りましたところ裏の方、足の踏み場もない有様、片付けをしたりウリを買ってきて奈良漬けの準備、梅を干したり何やかやと雑用があり、やっと朝早起きして手紙をかきました。○館の方は水道の水が少なくて困りました、夕べは一滴もなく困りました。

  神戸は大都市でそんな心配なしで何よりです。

青葉の季節となりました。私共皆々元気で働いております、月日の経つのは早いもので4月24日亡父の百か日になるので近所の人と子供たちで墓参りをいたしました。 東電の株上がりましたね、売りましたか

 今年は何時までも寒いせいか商売繁盛、4、5日暖かいせいか燃料部は幾分ヒマになりましたが電気部の方が忙しく、ひろしも商売に励むようになりました。

 近所のミツコシさん立派な家ができました。秋山さんも たてまえ をしました。

書道上達して私にもよく判りかねます、あまり略さないで大きく書いてください

大分秋らしくなったようですが暑さは厳しいですね、お盆も終わってほっとした気分、○谷津さんの家でも祖父母さまが三月頃亡くなられ新盆なので線香を上げに行ってきました。○谷津さんも力を落として家に帰るせいも無くなりましたと・・・

春とは申せ今でも大雪が降り冬のよう、関東は二月二十八日大雪、2、3日うちに⒉回も降り、彼岸も来ると言うのに何と寒いことでしょう、それでもお陰様で風邪もひかずに過ごしました。

    指輪ができました、私が行くとき持ってゆきます。

 

 

朝から酢豚を作り、飲みものもノンアルコールビールに・・・・

何時もはパン、牛乳、野菜の朝食だがアツアツの酢豚のみ、ご飯も省略

 

昭和30年代食生活改善推進員養成講座というものがあった、これは現在も続けられている。

時代と共に食の問題は変わるけれども動植物食べることは生きる基本ニコニコ

 

今年もいよいよおしつまって参りました。お元気でおすごしでしょうか

お母様ご逝去を遊ばされたとのこ心からお悔やみをもうしあげます  いつかは必ずその時が来ることを知りながらも永遠のお別れに現実に直面した時の深い悲しみは当事者でなければわかりません

  私も母と別れた時の嘆きを今思い出して貴女の御気持ちを推察するのみです ご無沙汰ばかりしておりましたので いつお亡くなりになったのか全然存じませんで大変失礼いたしました、

心ばかりのお悔やみのおしるしを同封致しましたので どうか御仏前にお花でもお供え下さいますよう。

 

 今年は初めから終わりまであわただしい日々でした。

九月初めに新しい家に移りましたがまだここ一週間程又大工さんが入っていますので落ち着きません、

年と共に仕事の能率が落ちたのでしょうか まとまった仕事が何にも出来ないうちに一日が終わってしまいます、もう少しのんびり暮らしたいなぁとつくづく思うこの頃です、

 東京へおいでの節はどうぞお遊びにいらして下さいませ 前もってわかれば田沼さんや佐羽さんにも声をかけておきます

 お寒くなりますのでどうぞお風邪をなど召しませんよう 来年は良いおとしでありますよう お祈りして居ります 

    かしこ 幸子拝   1987年

 コロンビアとの戦いで勝利して日本中が湧いたサッカー、夜中に男も女も興奮星ニコニコ

日本どころか世界がオドロキ次のセネガル戦に注目!

監督、大迫だけでなくメンバー全員、幼少の頃からの積み重ねがあったればこそ・・・・

            期待しようラブラブ

 

「栴檀」とは、白檀のことをいう、白檀は香木であり、双葉のときから非常によい芳香を放つことから、すぐれた人物は幼少時代から他を逸したものを持っているということ

「双葉」は「二葉」とも書く。「栴檀は双葉より薫じ梅花は蕾めるに香あり」ともいう。

             『上方(京都)いろはかるた』の一つ。