娘は今、小学五年生の11歳。私が44歳。だから、ゾロ目の年がいつも重なる。次は22歳と55歳、次は33歳と66歳、もう一回くらいは…44歳と77歳、もしかしたらここまで生きられたら嬉しいなの55歳と私が米寿の88歳。いき過ぎかな。

椰月美智子の「しずかな日々」を読んだ。
33年前、11歳だった頃のことを思い出しながら。というよりは想像しながら、という方が近いのかも知れない。
小学五年生の男の子が主人公で、季節は春から、長い夏休み、それから秋、時間は流れて大きくなってからのこと。
ハッピーエンドとかそういう感じじゃなくて、続いていく人生の重さだとかは男の子に残されていたけど、あの五年生の夏が、一年間があったから主人公は現実の世界で、自分の輪郭をなくさないで生きていけたんだろうなと思った。
子供は言葉に出来なかったとしても、だいぶ、だいぶ色んなことがわかっているに違いないから。あきらめて閉じ込めてしまうこともあるのだろう。

おじいちゃんは西瓜をもっと甘くしてくれる塩みたいに、上辺だけの優しい言葉がないところがいい。先生がちゃんと主人公の気持ちを受け止めて、本気で親に掛けあってくれたところもよかった。人生に踏み込んできてくれる他人なんて、そうそう出会えないはずだから。 
偶然がいくつも重なりあって救われる子供は私の知らないところでたくさんたくさんいるのだ。きっとこの主人公のように。

この小説は昔、ある私立中学の国語の入試問題で使われたらしいが、試験で使われたのはごく一部だった。過去問を題材に演習をしていて、続きが気になり、塾の本棚から借りてきたらしい。
読み終わったあと、とてもいい小説だからママも読んでみてと勧められ、又貸しさせてもらい読んだ。むすめは読み終わったけど、自分の本で持っていたいくらいいい話だと言ってたから、そんなにかい?とおもいながら読み始めたのだ。

受験勉強は大変に違いないけど、新しい何かを知るきっかけも作ってくれる。そんな風に少し余分が入る隙間は残しておきたいのだ。お互いのために。

懐かしい匂いを思い出すような、油断すると眼を涙の膜が覆ってくるような、そういう読書だった。
今、主人公と同じ年のむすめと私は感動のポイントは異なっているのだろうけれど。
私は、私の昔の思い出を持ちながら、今度はむすめの人生を思う。夏休み、汗をかきながら、思いっきり自転車をこいだり、死ぬかと思うくらい友達とバカ笑いしたり、ありがちだけど、ないよりはあったほうがいいようなこと。でも、それは親が気を回すようなことじゃないんだろう。

でも、こどもの幸せは大人次第だとも思うし。私は、だけど少しずつ子離れしていかなくてはならない。でも、まだ11歳は子供だ。静かに反抗期を迎えつつあるむすめを見ながら、親の方は親の方でそんな風にぐるぐるじたばたしている。

しずかな日々の主人公が言っていた。
「ぼくはいつだってあのころに戻れるし、今の頼りない自分ですら誇りに思えてくるのだ」

いつかの自分と今の子供と、大人の自分といつか大人になる子供が、同じように重なり合う不思議を感じられたんだって言いたかったのだ。