足掛け18年、自著を上梓する前から現在に至るまで、他力信心を求める方々とご縁を重ねてきました。

メールや電話などでお問い合わせをいただいた方だけでなく、実際に京都まで来られ、対面でお話しした方も数多くいらっしゃいます。

はじめの頃は、一人の方と何度も繰り返しお話しすることもありました。

しかし、何度もお話ししたその方も、その後、ほかの方の話を聞かれるようになりました。

この経験から、私は、対面でのお話を何度も繰り返すのではなく、一度のご縁を大切にして、その一度で、その方自身がいま何を求めているのか、どこに向き合おうとしているのかをお話しする形にしたいと考えるようになりました。

 

その後、数か月を経て、現在のように「対面でのお話会は一度」という形をとるようになりました。

その中には、お話ししているまさにその場所で、ご本人が「他力信心を賜った」ときづかれた方もいます。また、後になってご自身が他力信心を賜ったことにきづき、そのことを私に知らせてくださった方もいます。

そうしたときには、その方とともに慶んできました。

 

一人だけ例外があります。

海外に住む外国人の方です。その方とはメッセージでやり取りをし、一度だけSkypeでお話ししました。そのとき、その方が、画面の向こうで他力に気づかれ、とても慶ばれている様子が画面に映っていました。

私は、対面で共に慶ぶために、その方に逢いに行きました。

Zoomなどの動画を使った対話は苦手なので、こうした形でお話ししたのは、この一度だけです。いまはしていませんし、今後もするつもりはありません。

 

近場でも遠方でも、距離に関係なく「直接会って話したい」と決意して来られる方を、有難く、尊い方だと受け止めています。

なぜなら、そこには「いまここで他力信心を賜りたい」という覚悟があるからです。

一方で、

「ブログや投稿文を毎日読んでいれば、そのうち理解が深まり、他力信心を賜れる」

そう考えて、読むことで理解を深めることを目的にしながら、実際に向き合うことを先延ばしにしている方もいます。

しかし、「そのうち」と先延ばしにしている間に、他力信心が自動的に賜るわけではありません。

 

文章を読むことは、他力信心を求めるきっかけにはなります。

けれども、何年読んでいても、読むことだけを続けているのであれば、それは

「いまここで他力信心を賜りたい」

という覚悟とは別のものです。

遠方だから来られないのではありません。

時間がないからでもありません。

大切なのは、自分のいのちの問題として、いま向き合う覚悟があるかどうかです。

ご自宅と私の住まいの距離にかかわらず、その覚悟の有無には雲泥の差があります。

 

お話会は、ただ話を聞いてみるための場ではありません。

「いつか分かればいい」
「もう少し文章を読んでから」
「毎日読んでいれば、そのうち分かるだろう」
「まだ相手も自分も当分の間は、死なないだろうから」

そうして先延ばしにするための場でもありません。

 

「いまここで、他力信心を賜りたい」

この覚悟を持って来られた方と、直接お話しするための場です。

物理的な距離に関係なく、いまここで向き合うために、直接会いに来ることを決意された方とのご縁を、有難く尊いものとして大切にしています。

他力信心を求めるのであれば、「そのうち」ではなく、いまここで向き合う。このような覚悟で、対面でのお話会を続けています。