著者は、浦出美緒さん。SB新書 2025年発刊
まだ手元には届いていませんが、内容を知るにつれて、あるはっきりとした感覚が浮かんできました。
それは、理論と現実はまったく別物であるということです。
たとえば――
動物園で見るトラと、ジャングルで出合うトラは、まったく違います。
動物園では、安全な距離があり、
「観察する対象」としてトラを見ています。
けれど、ジャングルで出合った瞬間、それはもはや対象ではなく、
👉 自分の生死がその場で問われる現実になります。
どれだけトラについて知識があっても、
その場でそれが役に立つとは限りません。
むしろ、
- 身体がすくむ
- 心臓が早鐘を打つ
- 逃げ場のなさに直面する
そういう、どうにもならない現実が迫ってきます。
死の問題も、これと同じではないでしょうか。
どれほど精巧な理論を積み上げても、それはあくまで「動物園の中での理解」です。
いざ臨終という一点に立ったとき、
👉 その理論がそのまま働くのか
ここが問われます。
私はどうしても思ってしまうのです。
どれほど美しく整えられた理論であっても、
それはまるで
👉 砂で作った城
のようなものではないか、と。
普段は形を保っていても、
臨終という一波が来れば、
👉 すべてがぺしゃんこになる
その可能性を免れないのではないか。
そして、もう一つ強く感じる疑問があります。
なぜ、人は
👉 理論だけで満足しようとするのでしょうか。
なぜ、
👉 真理との邂逅や、生死を超える体験を
👉 「いまここ」で求めようとしないのでしょうか。
死が避けられないものであるならば、その問題は「いつか」ではなく、
👉 今この瞬間の問題のはずです。
さらに気になることがあります。
著者の浦出美緒は、大学で教え、看護の分野にも関わっておられると聞きます。
そのような現場で、
👉 「ではあなた自身は、死の恐怖を超える体験をしたのですか」
と問われたことはないのでしょうか。
もし問われたとき、
👉 「まだ体験していない」と正直に答えられるのか、
それとも
👉 体験していないままでも、この問題を扱い続けるのか。
そしてもし体験していないのだとしたら、
👉 それを何としても克服したい、今ここで解決したいという方向に向かわれるのかどうか。
その点も、私にはとても大きな疑問として残ります。
だからこそ大切なのは、
👉 崩れるかどうか分からないものを積み上げることではなく
👉 本当に間に合うものは何かを見極めること
なのだと思います。
理論は、整理し、理解、理性を助けてくれるかもしれません。
けれど、それは「手前まで」の働きです。
最後の一線を越える力があるのかどうか――そこは感情問題です。
動物園の中で満足するのか、ジャングルに立つ現実に向き合うのか。
その違いは、その時になって初めて感じることです。でもいまここで今生死の恐怖が克服できた体験がある私はそれが、できることを伝えたいと毎日のように書き続けています。
浦出さんの本は、いわば『絶望的なまでに精巧な地図』。でも、地図をどれだけ眺めても、その土地の風に吹かれることはありません。私が語りたいのは、実際にその大地に立ったときに見える景色なのです。
