博士論文もマラソンと同様、最後がいちばん大変というお言葉をゲーム研究が専門の韓国人の先生から賜りました。修士論文も大変でしたけれど2年で終わり、博士論文は途中僧侶養成学校、疫病下で休学をした時期も入れて2016年から7年半経とうとしています。

 1年目の夏休みにベルギーのアントワープに行き英語で発表しました。同志社大学で考古学の国際発表のアシスタントもしました。世界の水準を目の当たりにした博士課程の始まりでした。秋に父の看病で実家に戻ると一月ほどで他界しました。葬儀の後、片付けを母、妹、弟にまかせ京都に戻り論文執筆を再開しました。ところが資料となる文献が過去のもので手に入らないという重大な困難に直面してしまい、研究テーマを変更せざるを得なくなりました。

 研究科は4つの領域に分れています。テーマを変えたことをお世話いただいてた事務の方に相談すると担当教員と領域両方を変えた方が良いと言われました。そこから真宗カウンセリングの資料の整理を始めました。この7年間でベルギーのほかにインド、シルクロード、タイ、トルコ、フランスで研究の資料を集め、気晴らしにロンドン、ロシア、ギリシャ、カナダ、フィリピン、済州島に旅行もしました。国内では広島で約一月滞在してフィールドワークをしました。

 転入した頃にはよく分からなかった哲学、表象といった考え方と他力の違いについても文章で記述できるようになりました。冤罪が疑われる死刑囚(特に女性)が求めるなら真理との邂逅をその場でできる話がしたいと僧侶養成学校を卒業の後、縁有って現在の寺の衆徒に加わらせていただいております。博士論文が終わるまでお手伝いが未だできていませんけれど、一日も早くご恩返しできるように精進しております。

 今年の春、娘の卒業式で文学部哲学科でヤスパースの卒論でお世話になった先生とお話しすることができました。娘さんの書かれたものはお母さまの薫陶があったのですねと言われました。博士論文の内容を説明すると、先生から、もう書くことがはっきり決まっていらっしゃるので後は文章にするだけだと励ましていただきました。いま最後の投稿論文を査読に沿って書き直しています。私が特にしっかり書かなければならない論点を査読者の方は指摘してくださいました。だから、いま、そのことについて誠実に分かりやすく書いているとところです。

 僧侶養成学校の卒業前の1月頃、第3コーナーを曲がって直線を走っているところですと表現したら競馬と間違えられてしまいました。高校時代400メートルの選手だった私にはトラックの第三コーナーからが本当に辛くて、何とか手を振り、足を上げてゴールに辿り着いたことしか思えませんでしたけれど。今回は海外、国内でのフィールドワーク、市内の他大学での聴講、毎日のように聞法会館に通って法座を聞いていたことなどが懐かしく思い出されます。沢山の方々にお世話になりました。途中、父、親友、先生等何人もの方を見送りました。次は自分だと思い詰めるくらいの体調不良の時期もありました。博士課程での7年半のマラソンの景色は様々な眺めがあり、長いような短いような不思議な期間でした。

 一番大変で大切なラストランを毎日愛おしみながら楽しんで、ゴールに向っております。