いままでは学生を卒業、修了させることや学校の雑事、科研費を取るための書類などに時間を取られていた生活が退職した途端に終わります。そのとき初めて自分に向き合うことができます。自分が本当にしたかったこと、世の中の役に立てることを熟慮する時間が取れます。ようやく長年の研究成果を世に発表できるのです。途中で死ななかったのですから、本来、自身が世の中に明らかにしたかったことを伝えることができる佳き機会を得た訳です。

 ところが、それをせずにただ何もすることなく過ごす人がいかに多いことか。機械も動かさないと錆びて使い物にならなくなります。人も現在の先端の考え方に触れなくなると、昔の焼き直しを市民講座のようなところで話すなどして生活のために時間の切り売りをするようになります。これでは40年、50年続けてきた研究が何であったのかわからなくなります。国の税金を使い、高額の給与を得て退職した後、いきなり研究が衰退するのでは何をしてきたのかわからないことになります。

 だから、現役の間から退職後も視野に入れて、常に自分が何を明らかにしたいのか、どうしたら他人を利する役割が担えるのかを自分自身に問うていくことが大切になります。教員として時間を切り売りするなら、それは自損損他の勿体ない一生です。後進の指導も大切です。自分より優れた学生に出合うこともあるでしょう。それはそれとして、その研究をリスペクトしながら自身の励みにしたらいいだけです。

 特に疫病騒ぎ以降、いままで信じられてきた価値観が、一変してしまいました。それにきづかずに従来のやり方を踏襲する研究者もいますけれど、それではだめだと新しいより現実的な世の中に役に立つ方向に研究を切り替える人たちもいます。動き続けなければ苔が生えます。油を差して手入れをしないと機械は錆びつきます。

 いままでとても学生を長くしてきたもので、教員を退職してきた研究者をたくさん見てきました。その上での見解です。特に世に知られず、いまだ成果も出していない私のような若輩者の意見ではありますが、真剣に受け止めていただけたらと存じます。