修士時代、比較文化学科に属して学術修士の学位を取得しました。修士論文は仏教関連ではなく杉浦日向子の『百日紅』を素材に江戸時代の男女関係を論じました。

 修士の一年目は単位取得で多くの時間を費やし、二年目は修士論文に集中しながら一年目に受講して、未だ学び足りない講義を再履修しました。私にとってこの修士時代の経験が今の研究のみならず、宗教者、教師としての活動の礎となっております。後進を育てるための教師としての矜持と真摯な態度を身を以て示してくださったのがこの頃の先生方でした。

 イギリス文学、江戸文学の優しく優秀なお二方には自身の未来を提示している様で素晴らしい講義と共に尊敬と羨望の眼差しとともに受講しておりました。

イギリス文学の先生はキリスト教信者で凛としたたたずまいの中に優美で上品な雰囲気を醸し出されていました。お母さまの介護施設でのお話をお聞きした翌年にお母さまは他界されました。そのすぐの講義の時目を真っ赤にはらして、お姿が少しやつれている中で講義してくださったことが今でも思い出されます。

 江戸文学の先生は江戸時代の女性たちが溌溂と生きていた様子を教えてくださいました。江戸時代の研究をしていた私にはとても刺激的で理解が深まりました。どんな時代でも女性たちは自分自身で道を切り開けるということを先生自身の人生を賭けて教えてくださいました。

 フランス文学の先生からは「教育は人格の涵養」だという言葉を賜りました。私はこれを宗教者にこそ必要不可欠な基本的な考え方だと、その時からずっといつも思い出して忘れないようにしております。目の前にいる人の鑑にならないとならないのです。世の中には可笑しな人がたくさんいる中、せめて宗教者や教員はつねに襟を正していくことが肝要です。教員だけは嘘をつかなくていい職業だと僧侶、医師、他大学の心理学ーの先生から聞かせていただいたことがあります。嘘をつくと門徒、生徒の信頼を失います。さとりの教え、研究すらも軽く偽物だと呆れられ、彼らは離れていきます。一度失った信用は簡単に戻りません。「嘘つきの烙印」を一生背負い続けることになります。

 民俗学の先生からは相手の言い分を否定することからその先の研究態度があることを教えていただきました。違いを明確にしたのち、寄り添えるような考え方を模索する態度を常に持ちながら博士では研究を進めています。

 修士を修了後、私は修士時代を超える先生にはまだ出合えていません。自分があの大学の学長、副学長、名誉教授でもあられた先生方に少しでも近づかねばなりません。できる限り常に真摯に生き若い人たちの手本でいます。特に私は若い女性たちに、自分の心身を大切にして欲しいです。気の進まない関係は避け、尊敬と信頼のある人たちとの時間を多く過ごしていくように念じます。