統合人間学会 第15回大会 

2024 年 2月 4日(日)15 : 30 ~ 16 : 30

於)同志社大学 今出川キャンパス 寧静館 4階 46号教室 

  立命館大学大学院博士後期課  藤井 美恵子

「見えない世界に踏み込むケア -真宗カウンセリングによる宗教的アプローチ」 

はじめに

 現代社会に暮らす人々に何らかの生きづらさがあるとき、それを解決もしくは軽減するためのケアを求める。目に見える不足に対する金品の給付、医療、更生のケア(可視的 物質的 分化的)の不備を補うケアがある。その一方、今生の当面の癒し、喪失に対するケアでは満足できない人たちがいる。本発表は両者の違いを考え、見えない世界をも包含するさらに進んだケアの在り方を明らかにすることを目的とする。

1ケアの性質による分類と方法

 1-1衣食住に対する生活上の悩みに対するケア(可視的 物質的 分化的)

  ・<国、自治体等による社会福祉によるケア>

 金銭的・物質的援助によって貧、病、争の解決を図る

  ・<各種プログラムによる医療的、更生ケア>

   薬物、ギャンブル、その他病的依存者に対して施設、通所で該当者にプログラムを施し構成を図る

*これらについては、ケアできる範囲が極めて限定的であり、問題の一つが解決できても周辺の未解

の事柄が惹起して根本的解決に至らないこともある。現世に限られた問題を一定の方向で援助する

方法には限界がある。

アメリカ人のロビン・ノーウッドRobin Norwood(1945年7月27ー)は『Women Who Love Too

Much』はベストセラーとなった。彼女は結婚・家族セラピストの資格を持ち、共犯アルコール依存

と人間関係依存症の治療を専門である。彼女は次のように述べている。

「信仰」を持たない人や持ちたくない人が、「信仰」の助けを借りずに回復しようとすることは

不可能ではない。が、難しさはますものだ。信仰を持たずに回復しようとするには、ハイヒールをはいて後ろ向きに急な坂道を登るようなものである。それでも目的地まで、いけるかもしれないが、もっと速くて効率のいい、苦痛の少ない行きかたもあるのだ(中略)私たちは私たちの「神」をひとりで、黙って見つけるしかないのだ。」

(『愛しすぎる女たちからの手紙』pp38-9読売新聞社,1991年)

1-2実存に対するケア(不可視的 非物質的 統合的)

   生老病死等の実存的な悩みに対するケア

  ・<宗教的祈りのケア>

   ヨガ、呼吸法、マインドフルネスなどによる身体的な癒しの作用を促し落ち着きを求めるもの

  ・<喪失の哀しみに対するケア>

   ケアを求める相手の話を聞いて悲しみが薄れる時間を共有する

   例)小説 重松清著『十字架』

  *一時的には安堵感、落ち着きの効果が期待できるかもしれないけれど、最終的に死すべき人間が何のために生まれ、生き、死んだらどうなるのかという過程を指し示すものではない。ある時は救われたように感じ、ある時はまだのように感じるなど、行きつ戻りつ、絶対的な安堵感を獲ることができない。心を落ち着け安定させることはできても、生死を超えた回心の状態に常にある状況に導く過程を示すものではない。 

2真宗カウンセリング(対話による)による回心体験を促すケア

・<回心体験(転迷開悟を最終目標とするケア>

回心体験がある僧侶もしくは真宗信者による真宗カウンセリング(提唱者は西光義敞)

 浄土仏教による阿弥陀仏の他力の救済によって今生のいまここで生死を超える他力の境地に出る回心の体験を対話によって実現していくものである。

  *回心の体験をした真宗者、体験はなくてもその過程の教学的知識を持ち、対機説法ができる者が多くないのが難点である。そもそも、究極的他力の境地があることにきづき、そこまで求める人が少ないので需要があまりない。

おわりに 

 苦悩を持つ人たちはそれぞれが求める解決法、ケアと巡り合えることが人生において重要となる。本発表では従来の物質的、身体的、現存的ケアではカバーしきれなかった実存的苦悩に対するケアを真宗カウンセリングという方法から明らかにしたものである。                  以上