大学院に進学してから、宗教への捉え方が変わりました。回心の体験から五年ほどして大学院で学び始めました。宗教的体験には本人はそれと、たとえきづかなくても究極的抽象化経た先にあるきがします。分かりやすくするための説法のたとえ話を抽象化する能力がないと間違ったところで座ってしまい、それが信心だと勘違いする人を自身の布教活動において多く見てきました。また、宗教書を読み、大学院での宗教や、宗教以外の文学、歴史、表象その他の講義を聞いてそう感じました。歴史に残る宗教家はみんなそこのところが分かっています。真実の信心の話ができる布教師もおそらくこれを教学、布教体験で知っています。直近の論文には書きませんし、博士論文にも論理的に書けるかどうかはいまは分かりません。
