2022年
 今日の午前中は講義が休みだったので、家の周りの草引きと掃除をしました。注文していたジャスミンとゼラニウムの苗が届いたので明日植えます。香りのいい植物を楽しめそうです。

 

 お菓子や飲料に砂糖以外の甘味料が加えられています。経費節減かもしれませんが、こういう食べ物は口にしないことにしています。こんなこともあり最近は甘い物はほとんど食べなくなりました。
2021年

 十数年前から私はずっと覚悟を腹に据えて生きてます。軟で無責任な人とは関わらないと決めたら、周りが清々しく静かになりました。今生で今すべきことを成し遂げたら、浄土に往生します。御恩報謝の妨げになることはしないと決意してます。

 科学で身体や病気に分かっていることは僅かです。それを掘り下げる暇があれば、大けが、今治療しなければ死ぬ病以外は放置し、真理との邂逅を果たすこと、そのための衣食住を整えることを優先すべきです。これがわからない政治家や医師たちのために大変なことになっています。

 覚悟がある人は稀です。今生で真理との邂逅を済ませなければ、また迷いの世界に戻ります。だから身体やいのちは大切にするべきです。命が終わるまで、ぎりぎりでもいいから真理と出合えたなら、今生は大勝利者です。出合う覚悟が生き方を決めます。

 不正確な検査を用いて恐怖を煽る医療は政策です。冬になれば風邪が流行り、免疫を高めて対処していました。無数に何度も変異するウィルスを全部見つけ出して絶滅する可笑しな考え方をしていたら人類は滅びます。だから今まで先人はこんな検査はしませんでした。

 きづきが無ければ同じ所で迷いを繰り返します。他人の姿を見て生き方を変えても真理に近づくとは限りません。真理を知る人もしくは書物と出合い教えを知り、実践することが一番です。徒歩で目的地に到達するのはかなり困難です。飛行機や船無しで遠距離移動や海は渡れません。

 結局は自己判断、自己責任です。誰かに言われたからと人のせいにして、危険な目に合うことは残念で悲しいです。捕まえて押さえつけられて害虫のように殺される状態でなければ徹底的に自身のいのちを護れるはずです。最終的に、他人は自分のいのちを護ってくれません。

 疫病で死なないために得体のしれない遺伝子注射を打つ人たちは自分の頭で考えて、自身のいのちの選択の情報を受け取らないのでしょうか。死後また迷いを繰り返します。私は死後の往生が確定していて死ぬことは怖くないですが、使命を十分に果たせていないので危険は避けています。

 今回の疫病のウィルスはまだその存在が確認されていません。それなのに、なぜ多くの研究者も医師も為政者も確認されていないものの検査や注射や対策のための規制を押しつけてくるのか誰も疑問を持たないのはとても不思議です。

 得体の知れない無料注射のクーポンを手に嬉々として行列に並ぶ人たちに対して私は無力です。崖の方に向っているのだとパソコンで訴えても、その人たちは届きません。自費でポスティングしたり、街宣活動する人たちには頭が下がります。私は生きている人に真理との邂逅を話します。

 支配されている人同士の議論は分断そのものであり不毛です。破滅に向います。矛先はもっと別の所にあるのです。自身が囲われている羊のようなものであることを認識しなければ、困難からの脱出は不可能です。

 実体の無い嘘の上にいろいろ積み重ねても、嘘が曝露されたとき残るものは空しさだけでしょう。あることがらの存在を前提として成り立っている商売も、医療も、人々への規制も、あれは何だったんだろうと終息を見届けるためには、どんなことをしても、生き延びないとなりません。

 

2020年

 ほんとは温くてたるいことやって寛いでいる場合じゃないけど。今、ここでどうしても救われたい人がいたら、真剣勝負する覚悟はいつもあります。
過去のこの日

 首相、内閣支持率の実態は1割程度でしょう。残りの9割は不支持で激おこぷんぷん丸です。でもそういう本当の数字を出すと総辞職か解散、そして首相は逮捕まっしぐら。なので正直なものは表には出しません。選挙の開票は機械を廃し、手作業の開票を取り戻すことで不正を免れます。

 誰かが発表する数字に一喜一憂することなかれ!恣意的に幾らでも誤魔化せるから。大切なことは自分で感じて行動すること。私はコロナ騒動が始まって以来、周りで検査で陽性になり入院した人が一人もいません。同じような人いませんか?

 何と対峙しなくてはならないか見極めることが大切!親に反抗するよりも自身の道を開くべし!火の粉を追いかけず火の元に水をかけ、すでにかさぶたとなった傷口ではなく、死に至る病に心を向けるべし!短い人生、根本的なより巨大なものと関わるべし!

 真の意味で人を救う宗教家は、今、疫病で命幾ばくもないひとに、もう迷うことのない真理との邂逅を説き切ことができる。たとえ自身がまだ体験が無くても、話くらいはできないと宗教家を名乗る意味がない!

 住まいの地域の自粛解除が出たので、振り返りを一つ。活動、経済の自粛は国や地方自治体が上から要請するものでもなく、ましてや国民から願い出るものでもない!自分の身は自分で処すこと!

 賭けマージャンくらい誰でもやってるっていうのは検察官や警察官には通用しない!其処の所勘違いがはなはだしい!消防士が放火するのと同等に罪深い!

 

2018年

「カリスマ性を持つ人でなくても伝わる心的援助活動」
 能力の特出した徳の高い人だけが援助活動ができるのは何だか違う気がします。ある程度の基準や方向性が残っていれば、初めはそれをそのまま実践して、徐々に自分のやり方や相手によって変えることができます。
   その作業を凡人の私がここ数年で手探りでしています。どうにもならない死の不安の解決すなわち、生死を超えることについての心的援助活動の方法を書き残すのが私の今生の役目だと残り少ない人生をそのことに費やしています。能力がない上に、継続的な努力も出来ずにいますが、それでも、私しかできないことを精一杯命の続き限りさせて頂こうと決めています。
感謝していること
 さまざまな有情無情のご縁に押し出されて、今があることに有難く感謝します。