「自身の能力、容姿、金品財産等で他人と比べて羨むことは一度もなく、これからもありません」と修士時代の講義の中で発言しました。すると東京大学で教鞭を取り、学士院会員で、学長を経験した70代の教員に「僕が今まで出会った人の中で東京の金持ちが行く某有名私大の学生以外でそんなことを言う人はいなかった。二人目です。」と言われました。
能力は優れていた方がいいけれど、それは実際現代で生きている人間ではなく、仏さま、釈尊や歴代の高僧方、日本人で尊敬する法然聖人に憧れることはあります。それでも、比べるわけではなく、ただ素晴らしいと感じているだけです。私にはそれらの人たちにないことで使命が果たせると思っています。
真理の話をしている人に自分より先に就職が決まったり、学位が取れたり、より良い職場に移れたりする人がいても嫉妬することがないかと聞かれて、どうせ死んでいくときにはそんなことは夢幻の間のことだからどうでもいいし、次は自分の番だと一緒に慶んだら本当にそんな現実がやってくると言いました。嫉妬するよりいま気分良く過ごせていたらそれでいいと言いました。
次に若いときに容姿端麗な人を羨んだことがないかと聞かれても、所詮、皮膚の下は骸骨だと言いました。すると、あなたは美しいからそんな余裕のある答えをするのだと言われました。だから表面上綺麗で薄っぺらく冷たい氷のような人と人並やそれ以下と思われる人でも心根が優しい人とどちらがいいか尋ねました。もちろん相手は心が大事だと答えました。
二十代まではつるんつるんの表面だけの映画俳優のような人がもてはやされます。それは衰えるものであると知っていたので誰に何を褒められようと、貶されようと何も感じず聞き流していました。年齢を重ねたとき、貧相でさもしく意地悪い顔つきだったら生きているのが嫌になるでしょう。今そんな風には感じていないのでよしとしています。ずっと私は人でなく、仏さまのような光輝く優しい姿でいられることを目標としています。
