偽物を掴んで「つもりの信心」を獲た人は、常に心が落ち着かず、ある時は救われているようで、ある時はまだなように感じます。本物は身に寄り添って離れません。ここを厳しく説いてくれる人から聞きましょう。

 

真理は重さも形も色も匂いもありません。だから、救われる前は一度自分の偶像崇拝する者を叩き壊します。救われた後は自由に真実の物語や清らかなものをイメージして御恩報謝の人生を楽しみます。遊びの人生が始まります。

 

弱っているとき追い打ちをかけ、マウントを取ってくる人からは離れましょう。嬉しいサインです。視界に入らないところに避難し、二度と近寄ってはいけません。百害あって一利なしとはこういう人を言います。

 

ない袖は振れません。もらっていないのにお礼は言えません。他力の信心も同じです。賜ったら臨終まで思い出さないではいられません。ずっと阿弥陀さまと一緒だからです。死ぬことも全く怖くなくなります。どうかそこまで求めてください。

 

後ろで護っている存在が感じられるから誰もあなたに危害を加える人はいないとある人から言われました。「それって怪しい人たち?」と尋ねたら、すました顔で「阿弥陀さま」と言っていました。有り難いです(笑)

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「人当たりのいい笑顔、耳触りのいい有り難い言葉」人生の艱難辛苦を味わえば警戒します。真実か否か、今本当に大事なことか否かを感じられます。見分けがつくようになります。困っているとき、弱っている時手を差し伸べてくれる人がかけがえのない人です。

 

マスクも、検査も、謎の液体もしたい人はどうぞご自由に。自己責任で。誰も責任は取ってくれません。でも、それで差別が生じ、不利益になるのをみんな憂いているのに。事情がありしない人の自由も尊重したらいいだけ。

 

頭だけはしっかりしているのに目も見えず、歩行もおぼつかなくなり、周りの友だちはどんどん死んでいき、施設に入った人たちが阿弥陀仏の本願力をまだ少し聞こえる耳で聞き開き信心を獲得する身になり、救われた同士で慶べたらどんな素晴らしいかとずっと願っております