2018年11月25日
「本願に対する疑いが全く晴れて、無くなったこと」が迷いを抜けることである、この一言は何秒もかかりません。説法や講義の中で触れる時間は十分あります。でも、本当に体験がなければ言えません。信心決定している人には当たり前すぎることも、未信の人には難しいのでしょう。
2018年11月25日
未だ信心決定していない人の話でも、滅多にないですが、ご縁の深い方であれば、お経やお聖教のお言葉を聞かれただけで、その場で獲信されることもあります。一座一座の御縁を決して気を抜かず、平素から使命を忘れずに
生きていくことが肝要です。
2018年11月25日
『無碍道』増井悟朗 華光会 2003年p80
「浄土真宗の教界全体が、無帰命安心でしょう。平生業成といい、帰命の一念といいながらも、それは口先だけで実際は法体安心。もうすでにお救いはでき上がっている。それを聞かせてもらう。それなら十劫安心や。でも機の方はいじっちゃいけんぞ、という風潮が強いわけです。無帰命安心、法体安心、さらにただ念仏と力説する。ただ念仏じゃないのです。南無阿弥陀仏のご回向にあずかったから、ただ念仏になるんです。そこの信心のところを抜かしてしまうんですね。」
2018年11月25日
経典や聖教を拝読するのは、本来、自身が自力無効を知らされ信心決定の後、目の前にいる後生を苦にする有縁の方々が信心決定の身になるお手伝いのためです。自信教人信のためです。決して自己の生活や仕事という名利のためではありません。心配せずとも、それらは後から必ずついてきます。
本末転倒していませんか。
2018年11月25日
後生に驚きが立ったら、すぐに連絡しますから話してくださいとある方から言われました。いつでもどうぞ遠慮なくと応えました。私の両親と同年代で真宗の教えを長いこと聞いていらした方が、今の今まで御仏と対峙する直前まで話をしてくれる人と出合えなかったのかと複雑な感じでした。