昨日のゼミでは論文章立てと方向性を発表しました。以下は章を少し直したものです。今日は投稿先に投稿規定を確認してきました。
(1)「浄土真宗の他力信仰過程をどこまでコンピュータゲーム化できるのか」
はじめに
「貧困争」が宗教を求める契機と多くの人は考えるが、それは浄土真宗の他力とはそのきっかけも目的手段も異なっている。それらの宗教にはカードゲームなども含めてゲーム開発やその検討が進んでいるかもしれないが、今回は転迷改悟の過程を知り体験できるゲームの作り方について検討する。先行研究は馬場 保仁 、 山本 貴光著『ゲームの教科書』(ちくまプリマー新書)2008年等のゲーム作成の文献を用いる。
本論文では
Ⅰ宗教過程をどのジャンルのゲームで創るか
どのようなジャンル、種類のゲームが他力信心の過程をより分かりやすく、また体感できるか
以下の三つのゲームを素材に明らかにする。
Ⅰ-1視覚、聴覚ゲーム 『Rez』(レズ))
   敵を倒すストーリーはあるがセリフはない
   音と敵を倒しながら進んでいくシューティングゲームである
   敵を倒すと音や画面が変化することで高揚感がある
   クリアするには技術を要する
Ⅰ-2視覚、聴覚、感覚(体感)ゲーム(風ノ旅ビト)
   旅人が砂漠、雪山、水中、空中、建物の中を進んでいくゲーム
   旅人は声を発しない
   解説の言葉も出てこない
   トライ&エラーを繰り返し最終のクリア場面に到達する
   吹雪、砂漠などをコントローラーが震えることで体感できる
   ちょっとしたコツがわかると次に進めるがそれを発見できないと、吹雪や砂漠の中で長時間止まり、先に進めない
   苦慮して時間をかけてクリアした後の場面転換などがある
Ⅰ-3ダンジョンRPG(魔法少女まどか☆マギカ)
   アニメーションをゲーム化したものである
   アニメーションと同じストーリーとアニメストーリ―に至るまでの話、全く別の展開の話など複数の話がある。
   ストーリーとダンジョン(闘い)の二つを織り交ぜてクリア段階まで進んでいく
   ダンジョン場面のクリアはゲーム初心には結構困難である
   物語の進行の変化を第三者的立場から俯瞰することができる
同時に各場面で選択を迫られその結果により物語が変わっていく
Ⅱゲームのクリアの為の補助
Ⅱ-1幼児や大人のゲーム初心者への配慮
  ゲーム経験者なら以前してきたゲームの積み重ねた人たち、小学生以上のゲーム好きなら壊れるのを気にしないでコントローラーを触るだけでゲームをクリアできる。
しかし、大人になってゲームを始めた初心者がゲームをクリアすることは困難が伴う。
ゲーム好きの友人等に尋ねる、
YouTubeの動画を見るなどでゲームの攻略を知る
Ⅱ-2ゲームのホームページ及び攻略本の同時出版
 ゲームの詳しい解説書をつけるか、ホームページを立ち上げる、攻略本を同時に出版することでゲームを進めることができる。
 従来のゲーム解説書はとても薄く、細かいことは暗黙の了解があるものとして書かれている
 ゲーム会社に問い合わせても、それは企業秘密だとか、自分でクリアするように言われる
Ⅲその他の問題点
 他力信仰過程を知るゲームの構想のみならできないこともない
 実際創る時のスタッフの確保、財源はどうか
 他力信心を体得したか、知識だけでもわかるようなスタッフを確保することがかなり困難
 画像、音楽なども宗教過程、体験を表現できる人材を確保できるかは未知
 特定宗教がゲームに力を注ぎ、寄付等で取り組むなら資金はクリア可能
 対話を入れるか否か
翻訳して世界向けて出すかは翻訳者の宗教体験、教義理解、言語能力等クリアしなくてはならない問題が山積
おわりに
 以上のように他力信心の過程のゲームを創ることは可能かもしれない 
製作者の意図がゲームをプレーする人たちのどれだけ届くのかはゲームができてプレーしてもらうしかない
 その結果をもとに更によりよいゲームを再び創るしかないのかもしれない

(2) 『浄土真宗の他力をコンピュータ(RPG)ゲームで表現しうるか」仮題)
はじめに
 宗教の布教は経典等による文字で書く文章、説法で話す口伝で伝えられてきた
 近年では映画、アニメ等で視覚を通しての布教活動もある
 それに加えて、老若男女が熱中するゲームを通して主体的に信仰過程を体験できる可能性もある
 ゲームがどこまでその役割を果たせるのかを自身のゲーム体験も用いて明らかにする
 宗教表現についての文献や自身のコンピュータゲームプレイ体験をもとに明らかにする。
Ⅰ浄土真宗の信仰過程とコンピュータ(RPG)ゲームの親和性
浄土真宗の他力信仰過程とコンピュータゲームのアート性ではないデザイン性に着目
 アートは思想、思考、哲学的観点等も含めたもので、終わりがない
 デザインは計画的に終わりを定めてそこに至るまでの過程ら完成までを組み立てる
 浄土真宗の他力信仰過程には終わりがある。
仏教前提ではそれを「生死出ずる道」、「六道出離」などと表現される。今生でできる人もあり、多生で成就できる人もある。真宗では「廻心」「信心獲得」といわれるゴールに今生で到達できると説く。今生でその状態に達することを勧めている。
Ⅰ-1手段、目的、完成
  両者は目的(到達点)、手段、信心獲得(クリア)がある
Ⅰ-2教義、ルール
  両者には教義、ルールがある
Ⅰ-3信仰心、参加する意思
  両者はその教えを求めよう、ゲームに参加しよう、してみようという意思から始められる
Ⅱ生老病死の表現と限界
  人間には生老病死というリアルな体験があるが、ゲームは中断し、初めからやり直すこともできる
  ゲームの中の出来事は夢の中と同様に中断し、終わればまた元の平穏な状況に戻れるが、人生の中の病老死
は一方通行で後戻りができない
  この点をどう表現するのか
Ⅲコンピュータ(RPG)が得意な表現
  読書は目で見て考えてイメージする能力が必要
  文字、漢字の読めない幼児や外国人には向かない
  動画はその流れの中で立ち止まって物語を考え直し、俯瞰することが難しい普段の生活では自閉症スペクトラムなどの傾向にあり他人の立場を考えられない人たちもいるそれらの人たちもゲームを通して、第三者として客観的に登場人物が他者に向けるまなざしを観察し、他者同士の関係性、それらの人達の言動で未来が変わっていくことなどを疑似体験することができる
  ゲームをプレイする能力や忍耐が必要であるが、繰り返しプレイすることで理解が深まる可能性がある
  他力の信仰過程を知り、体感し信心を獲得できる人も出てくるかもしれない
 おわりに
縁の深い人以外は、実在の宗教家が直に話す対話形式の方がリアルタイムでの表現の方が教えが明らかになる。信仰過程を把握して、個別またはグループにおけるカウンセリングのようなものが好ましいであろう
  貧困争や煩悩を満たすだけではない信仰過程を知らせるゲームが提供でき、他力信仰を求めるきっかけとなるならそれだけでもいいのかもしれない