カウンセラーという立場でお金をもらって仕事をしたくないのでしていません。それでもここ9年くらいそんなようなことを続けています。初めは仏教の「生死を超える話」・「きづきの話」のために仕方なくカウンセリングもどきをしていました。しかしながら、このカウンセリング的な聞き方を経ないと、仏教の話に進めないことがだんだんわかり、途中、カウンセリングや心理学の勉強をして、認定心理士や産業カウンセラーの資格を取りました。今でも、ときどき、カウンセリングのワークショップなどにも参加しています。
勉強した結果は、自身がしていることの理論的裏付けができたことくらいでしょうか。実践で半分の年月を費やした後、カウンセリングと心理学の勉強をしたので、特に真新しい発見というのはありませんでした。結局、カウンセラーの最低限の技術面と、態度、そして人間観が大切だと知らされました。自身のことは誰かに聞いてもらわなければ、なかなか分かることではないのだというのは、仏教を求めた最後の方でそうしてもらっていたので、同じような聞き方をしていました。
「そうなんだ」「そういう風に感じているんだ」こう言うしかありません。自分がもしその人の立場なら、そう感じているまま、ありのままの共感を持って受け入れるしかあり編ません。否定や批判をすることもできますが、それをしても、今、分からないなら、言葉を重ねても無意味なので言わなくなりました。私はこう感じるというのは言いますが、それを受け止めようと受け止めまいとそれは仕方のないことだと考えながら言います。その人によります。聞き入れてもらえそうなときは言いますが、そうでないときは黙っています。
なぜ、どうしてという質問をしても無駄で、結局、本人がきづいて変るのを待つしかありません。過去のことを問いただしても無意味です。否定も上辺の励ましもしません。分析もしません。その人が感じていることを鏡になって引き出す感じです。鏡がないと見えないことがほとんどですから。その鏡として歪みのないよう、最大限きをつけます。ただそれだけです。なによりも、今が大事で、今、縁が熟すようにならないと始まりません。今、聞けるなら聞ける、ダメならまたご縁があれば、そんな感じです。今生ではご縁がないのかもしれませんし。それでもその人ができるだけ早く真理との邂逅ができる話をする機会が来ればと願ってやみません。
感謝していること
カウンセリングの文章を読んでいて、自分のしてきたことの振り返りができて、とても嬉しいです。
