最近では、葬儀が密葬、家族葬という形で行われることもあります。身内がいないと行政が火葬して共同墓地に葬られるそうです。何とも言えない気持になります。たとえ自分がお葬式に行けなくても、ほかの人たちが故人を偲ぶセレモニーをされていたなら何となく気が済みます。

  遠い親戚が老人ホームに入り、連れ合いが一年以上も訪れず、何も話すことなく逝き、家族葬でひっそり旅立ったと聞き、そういう人生は哀しいと母は言いました。その人は家族の外には親しいひとはいなかったのでしょうとも。

 生きてきた証は、自身が真理との邂逅を果たし迷いから覚めて、来世は悟りの境地に生きるという確信が持てることだと私は知らされました。思うんじゃなくて知っています。私の死を弔って、偲んでくれなくても全く構いません。でも、私がそういう心境にいなかったとしたら、葬儀も墓もなく死体を焼いて相済みという扱われ方は、何と悲しいことでしょう。

 目的が果たせていてもそうでなくても、元気で仕事が上手く行っているときは、誰も自分のことを気に掛けてくれていなくても平気かもしれません。若くて、何でも順調で、有頂天で困っていない時は、誰かの親切も煩いと跳ね除たりもします。それでも、病気になったり、もしくは仕事が面白くなくなったとき、自分のことを心から心配してくれるひとがいないのは何とも心細いことです。そうなる前に、家族同士、友だち同士、日頃から安否を尋ねて、親しくしていくと人生が潤い、気分がいいです。

感謝していること
 明日の昼は、中国人のお友だちの家でお好み焼きパーティをします。娘と一緒に行って作ってきます。楽しみです。