それなら人殺しや強盗など何をしてもいいのか、浄土真宗は悪人正機ならぬ、悪人製造の教えなのかと文句を言うひとがあるでしょう。それは違います。全くの誤解です。
昨日、本願寺派の国際センターのゼミナールで「真宗や仏教の持つ『潜在的社会性』」と題した満井秀城さんはこのようなに言われました。
「法然聖人のお言葉に、『悪人までをもすて給わぬ本願としらんにつけても、いよいよ、仏の知見をば、はすべし、悲しむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまえにて悪を行ぜんに、その父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにむ也。ほとけも又もてかくのごとし。『法語灯録』とあります。『悪人正機』だからと言って、おもいのままに悪い行いをして良いはずがありません。私が悪人であることによって、仏を泣かせて来たことに気付いたとしたら、もっと泣かせてやろうと思うはずはなく、もうこれ以上、仏をなかせることはすまいと、『つつしむ身』に変わって行くものである。『仏の知見に恥じない生き方を希求する』身になるのが『悪人正機の社会性』であり、『念仏者の、自ずからなる社会性』であろうと思います。』
「親のこころ子知らず」と言われます。子どもの悪行いに対して、よろこばず、なげきながらすてられもせず、あわれみながら、その悪い行いをにくむしかありません。「悪人正機」の教えといくら言われていても自分が悪人であり、仏や親を泣かせてきたと心の底から気付いたら、このような仏や親の気持ちが感じ取れ、分ったなら、仏や親をもっと泣かせようとは思わないはずです。もうこれ以上仏や親を泣かせることはしないようにつつしむ身に変わって行くはずです。仏や親の知見に恥じることの無い生き方をするようになります。
親との約束を守らない、勉強を怠ける、学校や仕事に行かず親を心配させるような子どもは親の気持ちが分からないからそんなことが出来るのです。全く自分本位で自分勝手な行いをしていることに気づいていません。自損損他、自障障他、我利我利亡者の自分であることなど分かっていません。
親が泣いていること、よろこんでいないこと、なげいても自分の子どもであるから捨てられもせず、あわれみながらも、悪い行いを憎んでいることなど考えもしません。自分さえよければいい、自分の欲を満たすことしか頭にありません。本当に悲しい限りです。
親だけでなくお世話になっている周りの人に対して、冷たい態度を取り、批判的に接するなど、どれだけ人を傷つけているかなどお構いなしの自分本位な態度を取っていないかお互い省みることは本当に大切です。
それでも、そんなことには心を向けず、そこに心を置かず、ただ、「うちまかせよ、たのめ、そのまま来い」との阿弥陀さまのお言葉に「はい」と従うのみであります。これが浄土真宗の救いです。悪人正機とはこういうことです。
感謝していること
釈尊や高僧方、親鸞聖人や歴代の善知識方のお導きで弥陀の本願まことと信知させて頂く身に救われたことは不思議で有難いです。
昨日、本願寺派の国際センターのゼミナールで「真宗や仏教の持つ『潜在的社会性』」と題した満井秀城さんはこのようなに言われました。
「法然聖人のお言葉に、『悪人までをもすて給わぬ本願としらんにつけても、いよいよ、仏の知見をば、はすべし、悲しむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまえにて悪を行ぜんに、その父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにむ也。ほとけも又もてかくのごとし。『法語灯録』とあります。『悪人正機』だからと言って、おもいのままに悪い行いをして良いはずがありません。私が悪人であることによって、仏を泣かせて来たことに気付いたとしたら、もっと泣かせてやろうと思うはずはなく、もうこれ以上、仏をなかせることはすまいと、『つつしむ身』に変わって行くものである。『仏の知見に恥じない生き方を希求する』身になるのが『悪人正機の社会性』であり、『念仏者の、自ずからなる社会性』であろうと思います。』
「親のこころ子知らず」と言われます。子どもの悪行いに対して、よろこばず、なげきながらすてられもせず、あわれみながら、その悪い行いをにくむしかありません。「悪人正機」の教えといくら言われていても自分が悪人であり、仏や親を泣かせてきたと心の底から気付いたら、このような仏や親の気持ちが感じ取れ、分ったなら、仏や親をもっと泣かせようとは思わないはずです。もうこれ以上仏や親を泣かせることはしないようにつつしむ身に変わって行くはずです。仏や親の知見に恥じることの無い生き方をするようになります。
親との約束を守らない、勉強を怠ける、学校や仕事に行かず親を心配させるような子どもは親の気持ちが分からないからそんなことが出来るのです。全く自分本位で自分勝手な行いをしていることに気づいていません。自損損他、自障障他、我利我利亡者の自分であることなど分かっていません。
親が泣いていること、よろこんでいないこと、なげいても自分の子どもであるから捨てられもせず、あわれみながらも、悪い行いを憎んでいることなど考えもしません。自分さえよければいい、自分の欲を満たすことしか頭にありません。本当に悲しい限りです。
親だけでなくお世話になっている周りの人に対して、冷たい態度を取り、批判的に接するなど、どれだけ人を傷つけているかなどお構いなしの自分本位な態度を取っていないかお互い省みることは本当に大切です。
それでも、そんなことには心を向けず、そこに心を置かず、ただ、「うちまかせよ、たのめ、そのまま来い」との阿弥陀さまのお言葉に「はい」と従うのみであります。これが浄土真宗の救いです。悪人正機とはこういうことです。
感謝していること
釈尊や高僧方、親鸞聖人や歴代の善知識方のお導きで弥陀の本願まことと信知させて頂く身に救われたことは不思議で有難いです。
