元々私は他人に尽くすタイプの人間ではありません。

 そこのところを私はよく自覚しています。

 面倒、ややこしいひとはなるべく避けてきましたし、これからもそうするでしょう。

 距離を置いて付き合います。

 出来ること出来ないことの線引きはいつもしています。

 もどかしい、じれったい、歯がゆいという感覚はありますが、こうした方がいい、ああした方がいいということを直接言うことも控えているというより、したくありません。本人が、何かのきっかけで自分で感じないと本当の意味では分からないからです。

 誰かに全面的に頼って生きるひとは苦手です。私自身が必要以上に誰かに依存し、時間をかけることはしたくないので、相手に対してもそうして欲しくありません。

また、身体や思考能力が生涯、自分で制御できると想定していますから、おそらく、そういう人生を生きていくでしょう。そのために身体を鍛え、無理はせず、余計な心配をするようなことは引き受けないようにしています。
ただ、出来ないことを他人に依頼することについては有償・無償いろいろとありますが、事情を話して協力してもらうことに対しては遠慮はしません。どんなことでも自分一人で出来ることは無いと分かっているからです。


私は自分自身がいいひとだという自覚がないので、嫌なことは嫌だと言うし、無理もしないし、ああしてやったのに見返りがないとかは言いません。元々見返りなど期待していませんので。

何かしたことに対して私はお金も物も要りません。そのひとが真理を体得出来たらそれだけでいいのです。浄土仏教的に言うと、お浄土の旅をご一緒して、後に一緒に極楽に生まれられたらそれが一番です。他の望みはありません。

今のところ、お金にも物にもほかのいろいろなことにも恵まれていて、これと言って欲しいものはありません。文章を書く能力があればとは思いますが、これは自分で身に着けていくしかないことは分かっています。


人生は短いです。学校もやがて修了してそれぞれの道を進むことになります。だから、一緒にいられる間は、お互いの研究の参考になるような話をしたり、励まし合える仲間としていられたらと思います。ほかのひとはどうかはわかりませんが、私は他人の研究はとりあえず興味をもってリスペクトしています。自分の研究が最高だとは思っていません。それぞれがその分野の第一人者ということでいいんじゃないかと感じます。誰かを見下して自分が上に立とうとしたこともありません。相対の世の中なのでどうでもいいのです。ただ、生死を超える助かる体験がしたい人は聞いてくれたら話しますが、別に興味がなければ放って置いてくれたらいいです。放置で構いません。縁がない人に話すほどお互いに苦痛で迷惑なことは無いのですから。ハッキリ言って疲れます。研究に対してはこのようなスタンスです。無理も我慢もしていません。


自分をいい人に見せるために、他人を利用したり、また、自分の心の闇を見ないようにする人たちを見てきました。そういう人たちは面倒で、ややこしくて、自己一致しないことは辛いのではないかと要らぬ心配をします。でもそれは、栓のないことなので「仕方のないひとだなぁ」と最近は早々に切り上げることにしています。

感謝していること
  どんなことも死の解決には間に合わないとハッキリ知らされるところまで堕ちこんだので、何でもアリだと泰然としていられます。有難く感謝しております。