ほとんどの人と接するとき、言い知れぬ不気味さを感じていました。完全に信用することのできない何か、違和感がありました。

 最近それが、真理から遠い人たちから発せられる、自分を偽り、劣等感を隠し、見ないようにして、自分以外の人を演じ、弱くて抵抗しない奴隷や従順なペットのようなものに八つ当たりするモラハラ人間の姿であると分かってきました。それは、ダイレクトに自身の魂との接触を邪魔する壁と言うより、関わる際に、膜のような何かが必ず介在している感じです。その気持ちの悪い膜で心が触れ合えないもどかしさを常に感じていました。それでも、周りの人たちはそのことに慣れきっているようで、誰も異議を唱えたりはしません。当たり前のように表面だけさらっと流れていくのです。私は抵抗を試みたこともありますが、直ぐに無駄だと分かって止めました。

 たぶんそれは、真理にきがついていないための防御壁のようなものだと後に分かりました。真理とつながっていることが完全に分かると、自分を守らなくてもよくなるので、防御する必要はありません。ただ、そうでないひととの間では同じように防御している振りをしないと、不必要な攻撃を受けるので、防御着を着用しているというアピールは欠かせません。それは、ひととひとを隔てるもので、とても時間の無駄でありますが、必要悪としいて備えないと真理に目覚めていない人がほとんどである人間社会では嫌なおもいを受け続けることになります。

  本当の自分、恥ずかしい自分、みっともない自分から目を背けるために、他人に意地悪や攻撃をする悲しい性の人間たちの中にあり、それをかわしつつ、被害を最小限にして、心が通じ合える人を探して生きることはとても困難なことです。探して見つけるか、もう少しで分かりそうなひとに話をして分かってもらうかすることが、自身の居場所を見つけることになり、また心地よく幸せを感じて生きられることなのかと最近は感じています。

感謝していること
  いろいろなことから幸せになる道を理論化して文章化できる気がしています。有難いです。