本当に信頼できるものは目に見えず、形のないものです。

 真理との邂逅はこのような形で訪れました。
 
 家族・パートナーの慈愛にせよ、師弟関係にせよ全部最後は絶対にこの人は裏切らないという確信が持てた時、本当の意味の信頼関係が完成します。たとえ裏切られたとしても、何らかの考えがあるのだろうからそれは甘んじて受けられるという気持ちになったことも加えてもいいでしょう。

  最終的には共に真理との邂逅を済ませた人たちなら、目に見えない信頼関係を構築することは比較的に容易いでしょう。そうでない場合でも、これに準じる関係を築くことはできます。ただ、何十年もの長い間、疑心暗鬼を繰り返さなければならないかもしれません。それでひとは人間不信に陥り、本当にホッとする瞬間を獲られないまま、一生を終えていくのかもしれません。全く残念なことです。

  物質的な三次元の遣り取りで、信頼関係を造り保つことはかなり困難です。言動や物やお金の遣り取りで判断すると、誤解も生じやすいし、利害関係の波に翻弄され常に疑い続けることが止まりません。元々ひとは自由なのに、家族やパートナーや弟子がほかの人と仲良くしているのが気に入りません。本人が何かを獲て、幸せそうにしているならそれをよろこべばいいのでしょうが、自分だけのものだという幻想や縄張り意識が邪魔をして嫉妬に狂い、相手に問い質し、糾弾します。

  見えないもの、形のないものであるものも含めた相手の心身の全部を許容して、相手を許すことであり、認めることでもあり、何があっても、何をしても信じ切る意思なのかもしれません。真理との邂逅では、それが当然、当たり前、空気のようなものとなっているので、それが出来たひと同士にとっては、比較的簡単に、信頼し合えます。元々真理の前に失うものなど何もなく、相手がよろこぶなら、また別の機会で別の使命があるし、今生ではもう命すら惜しくはないからです。

感謝していること
  空気のように信じられるものとの邂逅が出来たことは、本当によろこばしいことであり、有難く不思議です。