なぜ急がないのだろうか?
どうして寄り道・回り道をするのだろうか?
なぜ感情的になり甘えて休むのか?
せっかくここまで来たのに続きをしないで、なぜ戻る?
生き急ぐ私には未だによくわかりません。
野球は投手が様々な投球法を駆使して、打者の所でボールを速くまたは様々に変化させて投げることで、何とか打たせないで投げ勝つことを研鑚します。打者はどんな変化球が来ようとバットに当て打ち抜き、出来るだけ遠くに飛ばして内野手に捕球されないで、外野フライにもならないヒットかホームランを目指します。
直球ド真ん中ドストライクの重くて速い球が一番美しくて、理想の形であると信じて疑わない私は、自身の人生を生き急ぎ、時間を惜しみ、全力でその投げ方を追求してまいりました。
真理との邂逅まではそれでよかったのかもしれません。脇目も振らず、少し回り道しているときづくと微調整しては、元に戻りどれくらい長距離のマラソンになるのか予測もしないで駆け抜けた半生でした。そのあと10年近く時が流れようとしていますが、未だ生き急ぐ癖はなかなか変わりません。
今生で一息切れたら、また迷いの世界を輪廻しなければならないのに、なぜ急がないのかと焦る気持ちがあります。その時のご縁は見て取れるのに、どうにかその人にとってなにか特別なご縁が急にやってきてきづくんじゃないかと。ゆっくりするしかない、来世でもいいのだと割り切れたらいいのですが、そのようには私には感じられません。あまりにも真理との邂逅までの私からしたら迷った人生が苦しくて仕方がなかったからなのでしょう。色のない世界、砂をかむような味気なさ、光が見えず人々がぶつかり合って怪我をして文句を言い罵り合い、果ては殺し合う人間世界を見るにつけ、様々な想いを巡らせます。光が当たり、照らされたら別の生き方が出来るのにと、つい、仮定の状況を考えてしまいます。
「人生は苦なり」を実感して、この状態から一日も早く、一秒でも速く抜け出そうという人は稀です。ほとんどの人が蜃気楼のような人生を煩悩の迷いの中で、損した・得した、好きだ・嫌いだ、プライドがどうこうとどうでもいいことに躍起になっています。それを見ながら、どうしたらこのひとたちが迷っていることがわかるのだろうかと考え込んでしまいます。
そんな私を見るに見かねてか、直球ストレートの超速球ばかりを追求すしていても、消耗したり空回りして、肩を痛めることもあると、ほかの種類の投げ方を教えてくれる人たちがいました。負担がかからず、ゆっくりでも合理的で楽しくて楽な投げ方もあるのだと教えてくれました。
彼らは、私に甘えて拗ねて怠ける様子を見せては、ほとんどの人たちは何もかも犠牲にして真理との邂逅を求めないのだと身を以て教えてくれました。それでも私は生来の癖が抜けきれず、最短距離ばかりを目指し、生き急ぎます。このまま休まず走り切り先を目指すのか、周りと同調しながらゆっくり行くのか、今、分岐点に来ているのかもしれません。
感謝していること
周りのいろいろな人や物が私の御恩報謝の人生に何らかの示唆を与えてくれている気がします。有難いです。
どうして寄り道・回り道をするのだろうか?
なぜ感情的になり甘えて休むのか?
せっかくここまで来たのに続きをしないで、なぜ戻る?
生き急ぐ私には未だによくわかりません。
野球は投手が様々な投球法を駆使して、打者の所でボールを速くまたは様々に変化させて投げることで、何とか打たせないで投げ勝つことを研鑚します。打者はどんな変化球が来ようとバットに当て打ち抜き、出来るだけ遠くに飛ばして内野手に捕球されないで、外野フライにもならないヒットかホームランを目指します。
直球ド真ん中ドストライクの重くて速い球が一番美しくて、理想の形であると信じて疑わない私は、自身の人生を生き急ぎ、時間を惜しみ、全力でその投げ方を追求してまいりました。
真理との邂逅まではそれでよかったのかもしれません。脇目も振らず、少し回り道しているときづくと微調整しては、元に戻りどれくらい長距離のマラソンになるのか予測もしないで駆け抜けた半生でした。そのあと10年近く時が流れようとしていますが、未だ生き急ぐ癖はなかなか変わりません。
今生で一息切れたら、また迷いの世界を輪廻しなければならないのに、なぜ急がないのかと焦る気持ちがあります。その時のご縁は見て取れるのに、どうにかその人にとってなにか特別なご縁が急にやってきてきづくんじゃないかと。ゆっくりするしかない、来世でもいいのだと割り切れたらいいのですが、そのようには私には感じられません。あまりにも真理との邂逅までの私からしたら迷った人生が苦しくて仕方がなかったからなのでしょう。色のない世界、砂をかむような味気なさ、光が見えず人々がぶつかり合って怪我をして文句を言い罵り合い、果ては殺し合う人間世界を見るにつけ、様々な想いを巡らせます。光が当たり、照らされたら別の生き方が出来るのにと、つい、仮定の状況を考えてしまいます。
「人生は苦なり」を実感して、この状態から一日も早く、一秒でも速く抜け出そうという人は稀です。ほとんどの人が蜃気楼のような人生を煩悩の迷いの中で、損した・得した、好きだ・嫌いだ、プライドがどうこうとどうでもいいことに躍起になっています。それを見ながら、どうしたらこのひとたちが迷っていることがわかるのだろうかと考え込んでしまいます。
そんな私を見るに見かねてか、直球ストレートの超速球ばかりを追求すしていても、消耗したり空回りして、肩を痛めることもあると、ほかの種類の投げ方を教えてくれる人たちがいました。負担がかからず、ゆっくりでも合理的で楽しくて楽な投げ方もあるのだと教えてくれました。
彼らは、私に甘えて拗ねて怠ける様子を見せては、ほとんどの人たちは何もかも犠牲にして真理との邂逅を求めないのだと身を以て教えてくれました。それでも私は生来の癖が抜けきれず、最短距離ばかりを目指し、生き急ぎます。このまま休まず走り切り先を目指すのか、周りと同調しながらゆっくり行くのか、今、分岐点に来ているのかもしれません。
感謝していること
周りのいろいろな人や物が私の御恩報謝の人生に何らかの示唆を与えてくれている気がします。有難いです。
