6年以上前に書いた文章を読んで「ナイス」のしるしをくださる方がありました。他力をよろこぶようになって1年ほどたったころの記事でした。
 心理学や経済やコンピュータ・プレゼンテーションなどを学び、修士課程を修了しましたが、まだまだ何もしていない気がします。これからは加速して少しでもご恩返しが出来たらと存じます。
 
 たくさんの人を集める
 その人たちが収まる建物を建てる...

 車を止めるところを確保する
 雨や雪が降ったときのため駐車場から建物までの地下道を掘る
 自前の弁当屋を作る
 宿泊施設をつくる
 それは何のため?
 それをする事で本当に幸せになれるの?
 本当に必要なの?

 いらない いらない いらない いらない いらない・・・・・
 
 心の中でいらないと繰り返していました
 そんなものいらない
 
 次から次へと、自分で自分の首を絞めるようになる、献金しました
 言われるままに、深く、何も考えずにお金を簡単に出しました
 よく考えず、盲信して、結局、大切な、お金、時間、労力を失いました
 
 本当に必要だったのは、自分一人のために、向き合ってくれる人
 「阿弥陀仏に今、向かって下さい、ただ、そのままうちまかせて下さい」と
 せめて、声だけでも聞かせて下さるそんな方だけだったのです。
 残念なことに、そんな同行にあえるまで、30年かかってしまいました。
 阿弥陀仏の本願に救われるまでの私の人生は何だったのか、一年以上考えました。

 たぶん、初めて、法座に行った時、終ってから、正しい方向を示して下さる知識に遇えたら・・・・・
 その場で、阿弥陀仏に救われていたと思います
 でも、自分が聞いた知識が、方向が、わからなかったのか、故意か定かではありませんが、間違っていました。
 初めから、最後まで、私は、「今」を問題にして、同じ聞き方を30年してきたんです。
 聞き方の、真剣さは終始、変わりませんでした。

 それなのになぜ?

  正しい知識や同行に遇えず、信心の沙汰が出来なかったことも、長いことかかってしまった要因であると思います。
 でも、30年の間、大学で学んで、責任のある仕事をして、結婚して、
 土地探し、設計、合い見積もり等全てして、注文住宅を建て・・・・・
 18歳のあの時でなく、長い時間に、何があったのでしょう。
 
 子どもを育て、その子どもにも、「今」「阿弥陀様」が救って下さるといい続け、
 ほぼ、昨年の今頃、ほとんど、同時に共に、信心決定させていただきました。
 その間、平行して、世界のあちこちを、子どもと見て回りました。
 あの30年は子どもと一緒に、埋めていけるような気がします。
 子どもは、世界中に、阿弥陀仏の本願を伝えるでしょう。
 子どもが成長したら、私も、子どもと飛び立ちます。
 人を多く集めませんでしたが、私は、子どもと一緒に
 お金では買えない宝を受け取る事が出来ました。

  あの時、18歳で信心決定していたら、たぶん、この日本にはいなかったと思います。
 一人で旅立っていたでしょう。
 余生をゆっくり、のんびり、四季それぞれ、気候の良い国で過ごしていたかもしれません。

 今の子どもとも、遇えなかったかもしれません。
 もしかしたら、子どもに遇うための時間だったのではなかったのかと
 遇うだけでなく、子どもとに仏教を聞いて、一緒に仏教をお伝えする者として
 共に成長する時間だったのでしょう。
 
 子どもだけでなく、元いた団体の方々、
 そして何より、今、この文章を読んでくださっている、
 皆様との邂逅のためだったのではないでしょうか。
 
 長いような、短いような30年でした。
 その間、高慢で、好き勝手に振舞って、あちこちで頭を打ってきて、人の痛みも、少しはわかるので、同じように、長年、おかしな事を教えられ、搾取されてきた人達の役に立ちたいと思うのです。
 でも、能力がない、人望も無い、根気も無い、情熱も続かない、無いもの尽くしで、毎日、心では懺悔し通しです。
 本当に申し訳ない。そんな気持で一杯です。
 
 阿弥陀仏の御恩を思えば、たくさんの方が見て下さっている、
 このブログに思いのたけを書いていく事くらいしか、今は、出来ません。
 縁がきたら、CD付きの本にしますからね。私の声で、励ましますからね。待っていて下さいね。
 話が聞きたいといって来て下さる方が、一人でもいらっしゃる限り、
 どう言おう、どんな例えがいいか、どう励まそうと考えられます。
 
 今、話をさせて頂いている方々は、阿弥陀仏が怠惰な私のために、遣わせて下さった尊い方々と仰いでいます。
 どちらかというと、教えて頂いたり、励まして頂いたり、する事の方が多く、有難く、感謝しています。
 その方々にお話する、阿弥陀仏の本願の尊い事を自分自身も聞かせて頂いています。
 「本願」真と自分の話す言葉ながら、有難く、尊いです。
 
 そして、益々、少しでもお伝えしたいと思わされます。
 今の、一瞬、一瞬が、阿弥陀仏と共に過ごせて、幸せです。
 後は、この人生を思い残すことなく、精一杯生きていく所存でございます。
 
 今、読んで下さっている方々が、一日も早く、一日でもなく、「今」、「阿弥陀仏の本願」に救われる事を念じます。
 皆様がおいでになるので、私もこうして、お伝えする事が出来ます。同時に、弥陀の本願を聞かせて頂けます。
 本当に有難うございます。感謝します。