客観性がない、誰もあなたの考えなんか聞きたくない
  「はじめに」っていうのは、この論文の内容のまとめみたいな、こういうことがこれからかかれるんだって事だけ短く書いたらいい
  指導教官の言葉です。
  
  そんなの分かってる。でもね、私はこれが伝えたいから書くのってね書いたんだ。ほとんどの学術論文てね、これ書かないよね。だからあえて書こうかなって却下されるだろうなって思いながら書いたら、やっぱりねって。
  
  だから、ここに投稿する。それでね、無事終了してね、いつか必ず3つの論文載せた本を出版するから。そのときの「はじめに」に絶対に書くから。いいの。
  
  以下私の修士論文の幻の「はじめに」。

はじめに
 この修士論文のメーンテーマである「杉浦日向子の描く江戸の男女」は、かつて立命館大学法学部で書いた「明治民法典論争・家制度」についての論文そして、3年次編入した大手前大学での「モラルハラスメント・ドメスティクバイオレンス」のそれにつづく女性の生き方を研究した論文である。
 
 明治から始まった家制度が、大正そして昭和の第二次世界大戦まで続き、戦後、法制度としては無くなる。しかしながら、その考え方は引き続き、昭和の終わりころまで人々の生活に影を落としてきた。

 その頃、私は法学部の学生で、日本法制史のゼミで卒業論文のテーマに、この民法典論争と家制度を書いた。家制度の考え方の中で女性たちは窮屈な思いをして生きることを強いられ、自分らしさが発揮できないでいた時代が長い間続いたが、論文の結論として家制度の考え方が完全になくなることで女性たちは生きやすくなるのではないかと結んだ。
 
 約30年の時を経てもう一度学ぼうと、編入した大学で、心理学を中心に学び、そこでは夫婦・パートナー間の「モラルハラスメント・ドメスティックバイオレンス」について書いた。「モラルハラスメント」は「モラハラ」、「ドメスティックバイオレンス」は「DV」と省略して世間では言われるほど、これらは人々が口にする言葉となった。(以後「モラハラ」・「DV」と省略して表現することにする)
 
 「モラハラ」とはフランス人の研究者が言い出した言葉で、ハラスメント全般を言っていたが、日本では近年、暴力によらない主に言葉での嫌がらせをさしている。
 家庭内では主にこの「モラハラ」が使われ、それ以外では「パワハラ」「セクハラ」「アカハラ」「マタハラ」などの言い方をされることが多い。
「モラハラ」をかつては「DV」に入れ込んで言われ、法律でも言葉による精神的なダメージをもたらすものもDVに入れている。
 しかしながら、暴力の行使があるのとないのでは被害を受けた側でもそれを訴えられた機関や人でも印象が違い、処遇も異なるので、両者は分けて言われるのが最近の傾向である。
 
 卒業論文では、家庭内に限定して「モラハラ・DV」を研究して書いたのだが、両者とも力強いもの、主に女性たちがまるで「もの」のように扱われ、支配され、容赦なく言葉や身体で攻撃し傷つられる様子と、解決の糸口を模索した内容であった。

 封建制度である家制度の中では父親の権力が大きく、三世代同居や親の近くに住んでいて、同居する男から妻やパートナーである女性は守られることもあった。
 家制度が崩壊し、核家族化していく過程で、男女が直接向き合った時に盾になる父親をはじめとする親族がいないとき、言葉や体での暴力が直接女性たちにされるようになった。

 女性たちが逃げるために公共の機関や民間でシェルターが作られ、鼻が曲がり、耳が聞こえず、目が見えなくなるまで殴られる暴力から逃れられても、また元の家に戻って被害に遭うことを繰り返す女性たちが表面には出てこないがこの国には多数存在する。また世界的にも男性による女性への暴力は止まらない。

 そんな現実を目の当たりにして、それでは、明治時代の前の江戸時代は一体どのように男女が暮らしていたのだろうかと考えるようになり、大学院での修士論文は江戸時代の男女をテーマにして書くことにした。
 江戸時代といっても、300年近く時間が流れていて、その間のどの場所のどんな階層の人たちを書こうかと考えたとき、杉浦日向子の作品が思い出された。

 その中でも『百日紅』の北斎の娘のお栄は江戸の身分社会の中であっても、自由にその人らしく生きていたように描かれていたので、作品を通して彼女の生き方から自身や現代の女性が生きやすくなること何かを見つけていきたいと考えた
 
 杉浦日向子がこの世から去って、10年が過ぎ去ろうといている。テレビ番組の中で着物姿の彼女が江戸時代の歴史や風俗について解説していたのがつい昨日のことのように感じられる。余りにも若くに逝ってしまった。
 江戸時代の時代考証を元に書かれた彼女の作品を読み解いていき、江戸時代の男女を杉浦日向子がどのように表現したかったかを考察していくことにする。

 この論文は、女性の生き方を研究してきた一区切りとなるものだと、私の中では位置づけている。いわば私のランドマークのようなものである。  
 今後、一体どのように、誰をモデルにして生きたら自分も含めて、女性たちは爽快に自分自身を生き切れるのだろう。
 50年以上生きていてもいまだはっきりせず、わからないことのヒントなりとも今回の取り組みで導けたらと考え、このテーマに取り組んできた。