いじめや様々な困難で生きているのが辛い人たちの助けになろうと弁護士を目指して、何十年も前に関東の実家を離れて、関西の大学に進学しました。
そのとき父から言われたことがあります。
日本だけではない世界中には尊敬できる優れた人、自分と同程度の人、又は援助が必要な人などいろいろな人がいる。これから、生きる範囲を拡がっても、そこで出合うどんな人に対しても同じ人間として対等な誇りを持って驕らず遜らず、常に真摯に対応していくように。きっとたくさんの人の光になれることを私は知っている。日々精進するように。
結局、宗教を極め、教師やカウンセラーの資格を取りました。弁護士にはなりませんでしたが、子どもの手も離れたのでスキルを磨き、もうしばらくしたら、今までしたことを融合してお役にたつ決意をしております。
思い起こせば、下宿も一人で決め、家財道具も自分で揃え、東西南北も分からず慣れない関西弁の行きかう京都でいろいろなことをしてきました。有名な京菓子を楽しみ名所の観光地にも行きました。京都だけではなく日本全国を真宗の講演会を聞きに週末には出かけて、降り立ってない都道府県はないほどです。
世界各国にも旅行しました。
テレビなどで放映しているような煌びやかな美しい人たちは、日本だけでなく外国にもほんの一握りしかいませんでした。
日本でも海外でも、都市から一歩田舎に入ると、そこにいる女性たちのほとんどが地味で化粧しても周りに埋もれてしまうような感じだったり、ウエストにゴムの入ったズボンやスカートを穿いて、安物のかばんを下げて買い物をする人たちがいました。男の人も日に焼け、白髪もそのままで、お洒落のセンスが目立つわけでもなく、ただ一生懸命自分の仕事をこなしていました。
それでもみな、笑顔が温かくて言葉が優しくて、光に包まれた純朴な誇り高き人生を真摯に生きている人たちでした。
モラルハラスメントやDVということが、都会でも田舎でも外国でもあることに気がついたのは、御仏の願いを賜った後でした。それまではずっと書いてきたように仏さまにしか目が向いていませんでした。
周りの人たちのことを考える余裕がなく、メンターたちに護られて日の当たる表の道を歩いていました。
ところが、あることがきっかけて、モラハラを味わい、声が出なくなったり、死ぬことばかりを考えるようになってきました。御恩報謝は続けていましたが、苦しくて逃げることにしか思いが及びませんでした。
幸い、カウンセラーの方々や両親や周りの人たちのお蔭で立ち直れましたが、その時の経験から、女性やモラハラをすることが止められない人たちや発達障害でモラハラやDVといった言葉や肉体の暴力を振るってしまう人たちの力になれないものかと、心理学や他を学び直しております。
ナラティブアプローチやワークショップの形式が効果的であるというところまで今のところ私の研究は進んでおります。
人間、裸で生まれ何も持たずに死んで焼かれていきます。その間、ご欲を満たすことに終始しては勿体ないです。
50も済んで後10年で定年という年齢に達した人たちは、真理との邂逅や自分の人生の使命について後身に語れないとなりません。
ただ、食べて飲んで合間に子どもを作って歳を取って死んでいくのでは何のために人間に生まれてきたのか分かりません。
そんな欲しか知らない人たちを後輩は尊敬するはずがありません。
無駄に歳を取ることほど愚かで惨めなことはありません。
どうか、若い人たちは自分が50歳になった時に何をそのときの若い人たちに与えられるか、50過ぎた人たちは自分はこれから自分の使命を果たす何かを今持っているかをよくよく考え、行き先を軌道修正してください。
感謝していること
いろいろな所からお引き立てがあり、役に立てることをとても嬉しく存じます。
