ブログや何かで元○○でした。というタイトルを目にした時感じます。
 「それが何なの?今はどうなの?」って。
 悲しく辛い局面を克服した過程を周りに伝え、同じような体験をした人と今の幸福を分かち合うことが目的でしょうか。それともそういうタイトルを提示したお商売でしょうか

 要はその時のことが完全にクリアできているか否かでしょう。
 クリアできている人は罪を憎んで人を憎まずに変わってきています。
 人間は弱いもので、例えば何かに追い詰められ、または欲がどんどん満たされる状況などで、とんでもない行動をすることがあります。そういう状況にいる人と縁が出来て巻き込まれて、人生の何年かまたはかなり長い時間を費やしてしまった場合、それを糧に出来るか、恨み愚痴を言うだけかで、その時の経験が生きたかそうでないかの分かれ目となります。

 糧に出来る人は自分はその時と同じことはしないでおこうと決意します。二度と他人を悲しい目に遭わせないと。優しく真摯に後の人生を送るためにはどうしたらいいかを常に考えて生きるようになります。
 一方、恨み言や愚痴に留まっている人たちは、自分も同じよう追い詰められ、欲が満たされる縁が来たら、決まって同じような行動に出ています。ただ羨ましかったのですから。そのときは自分にはできないけれど、もし出来ることなら、自分を苦しめる人たちと同じような立場で同じように金を集めたり人を顎で操ることがしたかったのです。

 もしお商売ではないなら、ハンドルネームや投稿のタイトルなどは「元○○(否定的なこと)」ではなく、「今○○(肯定的なこと)」と変えた方が自他共に嬉しい感じがします。
 肯定的な明るい言葉を多用することが自分にも周りにも生きる力や希望を与えます。

 お商売なら何も申し上げることはありませんが、いまだその元の○○を引きずっているように私には感じてなりません。 
その方々が、本当に克服でき、二度とその状態にならない強力な体験か何かが出来たならいいのですが・・・・・・

 今を明るく素直で感謝でき丁寧に真摯に生きている人なら、周りが引き立ててくれて、いろいろなチャンスが巡ってくることと存じます。
 昔のことや未来のことを取り立てて言わなくても、今、周りの人に自分の口で優しい言葉を掛け、重たい荷物を運ぶとかドアを次の人のために抑えて置くとか、少しでもお手伝いできることをしてくことの方が大切な気がします。
 
今とても充実していて楽しいことは、暗い過去を引き合いに出さなくても表現できるのかもしれないと最近感じ始めています。こんなに楽しい、こんなことが嬉しかったと、小さな事のよろこびの積み重ねが大切なのかもと。
そうしている内に、こんな状況がずっと続くような真理との邂逅がしてみたいというような話し方をした方がいいのかとも考えます。
感謝していること
雨が晴れたようです。