頂き物があると、まず仏さまにお供えして、子どもたち、舅や姑に行き渡った後、未だ余っていたら親はそれを受け取りました。人数分だけなかったら自分たちはおなかが空いていないとか、余り好きでないと言っていました。
 母は、いつも一番小さいものか余ったものを食していました。家が特に貧しいわけではなかったのですが、田舎育ちの名残なのか、そういう風にしていました。
 贅沢を慎み、出来るだけ節約して余分に食べたり飲んだり、頻繁に外食するようなこともありませんでした。
 お蔭さまで、家族はみんな丈夫で入院することも医者にかかることもなく息災にしております。

 昔はみんなが貧しく、不自由な中、何とか工夫して助け合って生きていました。それでも文句を言うこともなく、出来ることをできる範囲でしていて、それでよかった気がします。
 今から考えると、どれだけ親は自分は食べないでも子どもに食べさせようとか、贅沢な洋服なども買わずに、子どもが行きたい学校に行けるお金を残そうとか考えながら生きていたことが分かります。
 親になってからは私も、1円でも無駄にしないように、子どもが必要な時に使えるようにと考えます。何か家族で分ける時は子どもによろこんでもらおうとし、次に連れ合いの分を確保し、残りを私が受け取ります。子どもは大小にこだわる卑しさが抜けませんが、繰り返し多少多くもらって食べても太るだけだから、感謝してよく味わったらいいだけだし、自分が分ける段になった時、相手さまに多い方をいつも差し上げるようにと言っています。何回言っても分からないようですが、繰り返し言って聞かせています。

 誰かによろこんでもらおう、よろこぶ顔がみたい、自分は後回しでいいと思えるのは、満たされていて心が大人で親や教師のような立場になった時なのでしょうか。
 大学院では先生方が私の修士論文の参考になるようにと、いろいろなことを教えてくださることをとても嬉しく感じております。だから私もできることがあれば、先生方のように温かく見守りながら、分からないように軌道修正し、時々ヒントが与えられたらと思っています。

 感謝していること
 御仏の御恩、親の御恩、恩師の御恩と賜るばかりで何もお返しできていなくて申し訳ないです。