ある人はツィッターや投稿記事などを、また別のある人は雑誌への投稿論文やシンポジウムの発表を本業の気晴らしだと私に言いました。
 初め何の事だか意味が分かりませんでした。
 なぜなら私は自分の生涯の中で、そんなことをしたこともないし、考えたこともないからです。

 自分以外の人が見てくれるものに関しては、心から伝えたいことしか書きません。
 いつだって真剣勝負です。
 残りの命の時間を削って生きているのに、その貴重な時をいい加減に生きることなどできません。
 
 たとえその内容が冗談めかしたもの、滑稽に他の人に受け取られるものでも、それは何かのたとえや比喩や気持ちが明るくなってほしいからあって、ただ単に自己満足で面白おかしいものは書きません。何か伝えたいものがあって、そういう文体や事柄を交えるだけです。
 私に残された時間はにはほんとうに少ないのです。

 自分の文章に対してこだわるのは、時間がないほかに以下のことが私の使命だという自覚があるからです。
 真理との邂逅を果たして後、どのようにして御仏の願いをお伝えしようか、心に湧いてくる御恩報謝の気持ちをせめて文章で現そうとしています。感覚として浮かんだことをどのように言葉や文章にすればいいのかいつも考えます。ずっと考えて、やっとピッタリの言葉や表現に出合った時には飛び上るほど嬉しいし、誰かがその表現は分かりやすいと言ってくれたら、それはこの上もないよろこびです。

 ある人が、この世でどれだけ学び、どれだけ自他に心を掛け慈しみ、今生に生まれてきた使命を果たせたか、この三つが、その人の生きた価値だと言っています。
 自己満足の為に、どれだけお金を稼ぎ、財産を蓄えるより、地位や名誉を持つよりも大事だと。それはその通りでしょう。死ぬときに持って行けないものは何の価値もありませんが、夢幻の中に生きる私たちはどうでもいいものを大切にして、本当にしなければならないことを疎かにします。

 ほかの人はどうであれ、私は自分の使命を果たすべく、これからも、生き方にも文章にも妥協はしません。いつだって今の自分の持てる力をすべて出し切る覚悟です。それも同時に楽しみながら。
感謝していること
 ここのところずっと行事に追われていたので、やっと今日はゆっくり休めました。