思いやりや優しさの言動を以て自分以外の人とコミュニケーションを取ろうとする人と、暴力や脅しで言うことを聞かせようという人のアプローチの仕方はとても異なります。

 この両極端の間にたくさんのコミュニケーションの方法があり、それを各人が用いて人間生活が成り立っています。
 「話せばわかる」というのは嘘です。
 慣れない方法・ツールを使う人たちとは一生かかっても相容れないでしょう。
 
 特別な訓練を受けた精神科医や心理士でも、薬を出したり、表面上は取り繕う方法を示す事は出来ますが、クライエントの根本的なアプローチを変える事は出来ません、お手上げです。
 宗教家と言っても教えを説いたり、真理に到達する道筋を示したりは出来ますが、本人が自分が人を不快にさせる方法で付き合ってきたと気づきてもらうことはなかなか難しいです。

 このように専門家でも、脅しを根底にした暴力や悪口で付き合うことしかできない人たちとは、請われれば薬やその他である程度の処置は出来ますが、またぶり返すこともあり、根本的解決にはなりません。

 宗教家として教えは話せますし、真理との邂逅のお手伝いをしてそこまで到達してもらうこともできますが、その後、真摯で思いやりに満ちて優しい人でないと友だちとしてプライベートでは付き合えません。精神科医や心理士のようにお金はもらっていませんし、殺されても、心身を病んでも宗教家としてそれらの人たちと対峙する必要はないのではないかと最近は感じます。

 病的な精神的苦痛の解決は精神科医や心理の専門家でないと無理だと分かっていますし、真理との邂逅に向かう人たちの生活上の考え方などの困難などは一緒に乗り越えたいとは思います。
 しかしながら、私のようなわがままな人間にはその相手が本当に今、その真理との邂逅を望んでいて、誠実にやり取りができる人でないと無理だと今さらながらに気がつきました。妥協が出来ないこともありますが、アプローチのベクトルが全く逆方向を向いている人とは一緒には歩いていけないのです。
 限界を感じながらできることをしていくことが肝要と思われます。

 この世の中は同じような方向を向いている人たちが集まりますし、その集団はそうすることが心地よい人たちが作り上げていくのでしょう。合わない所にいると心身を喪失します。残念ながら私にはその覚悟は今のところありません。
 世界は広いです。きっと自分にぴったりの人がいて、心地いい場所があるでしょう。それがなければ、自分が創っていけばいいと最近は感じます。
感謝していること
温かいジャケットを手に入れることが出来ました。