真理との邂逅は結局、全ての空間は空っぽで何もなくそれが全てだということを鮮やかに知らされた体験でした。
真理であるという事は何かあったらそれは真理とは呼べず、イコール何にもないすなわち、空ともいえるものですから、そこには人間があれこれ言うような正しさも間違いも存在しない。自分が思い描いていた真理とは全く異なった次元の想像が及ばない世界です。
人知を超えているのです。
ただし、真理というのは何もないのですが、人知を超えた智慧を持ち、温かくてよろこびを与えてくれる光のような性質があり、邂逅を果たした人にはその光が寝ても醒めても降り注ぐので、いつも感謝の中での暮らしが出来ます。
そういう境涯を知ってしまってからは、何が正しいとは言えなくなりました。
正しいことが何であるか分からなくなったからです。
人間の言う正しさも間違いも全て包含した世界、そこにただ存在するだけの自分がいました。
だから、正しさを主張して間違いを批判するようなやり方はせず、どうしたら真理との邂逅が出来るか、迷いを迷いと気付くことが出来るかだけ、お話したり、書いたりしています。議論をすることもなく、相手の悪を責めることもありません。
ただ、真理を疑っていることで邂逅を果たせないから、疑いから離れるといいと勧めることだけをお伝えしております。
この疑いが曲者で、自分の力では絶対に離れられません。疑いまでも真理の方から知らしめてくださるので、ただ、真理に対して感謝するしかありません。
自分の力は何一つ間に合わないのですから。全てがおまかせの境地なのです。ですから邂逅後はひたすら、いかに御恩報謝できるか、それが問題になり、御恩返しできないことだけが苦しみとなるのです。もちろん煩悩からくる苦しみもやってきますが、そんなものは御恩報謝の前では微々たる問題です。
御恩に報いることがなかなか出来ないことから、せめて真理である御仏のお名前だけでも常日頃称えさせていただく日々ですが、次の光り輝く世界への旅路をよろこびよろこび一歩一歩、近づいております。
感謝していること
生きていてもいいし、いつ故郷に還ってもいいこの身をよろこんでおります。
真理であるという事は何かあったらそれは真理とは呼べず、イコール何にもないすなわち、空ともいえるものですから、そこには人間があれこれ言うような正しさも間違いも存在しない。自分が思い描いていた真理とは全く異なった次元の想像が及ばない世界です。
人知を超えているのです。
ただし、真理というのは何もないのですが、人知を超えた智慧を持ち、温かくてよろこびを与えてくれる光のような性質があり、邂逅を果たした人にはその光が寝ても醒めても降り注ぐので、いつも感謝の中での暮らしが出来ます。
そういう境涯を知ってしまってからは、何が正しいとは言えなくなりました。
正しいことが何であるか分からなくなったからです。
人間の言う正しさも間違いも全て包含した世界、そこにただ存在するだけの自分がいました。
だから、正しさを主張して間違いを批判するようなやり方はせず、どうしたら真理との邂逅が出来るか、迷いを迷いと気付くことが出来るかだけ、お話したり、書いたりしています。議論をすることもなく、相手の悪を責めることもありません。
ただ、真理を疑っていることで邂逅を果たせないから、疑いから離れるといいと勧めることだけをお伝えしております。
この疑いが曲者で、自分の力では絶対に離れられません。疑いまでも真理の方から知らしめてくださるので、ただ、真理に対して感謝するしかありません。
自分の力は何一つ間に合わないのですから。全てがおまかせの境地なのです。ですから邂逅後はひたすら、いかに御恩報謝できるか、それが問題になり、御恩返しできないことだけが苦しみとなるのです。もちろん煩悩からくる苦しみもやってきますが、そんなものは御恩報謝の前では微々たる問題です。
御恩に報いることがなかなか出来ないことから、せめて真理である御仏のお名前だけでも常日頃称えさせていただく日々ですが、次の光り輝く世界への旅路をよろこびよろこび一歩一歩、近づいております。
感謝していること
生きていてもいいし、いつ故郷に還ってもいいこの身をよろこんでおります。
