祖父母や親せきの家に一人で泊まるのもなかなか大変なのに、ましてや全く知らないそれも外国の家庭で1週間でも過ごすことは大変なことだと感じます。
小学生の3,4年の時、伯父夫婦の家に一人で2,3日泊った経験がありますが、何をするにも一々気を遣い、洗濯物は全部袋に入れて、家に持って帰った記憶があります。
伯母が気を回して、洗濯物を出すようにとか、必要な食べ物や飲み物を持ってくるような気配りをそんなにしない大雑把な人だったので戸惑いました。
東北の震災の後の春休みの1週間、当時小学校5年だった姪が一人で遊びに来ましたが、そのときは預かる側でしたが、ホームシックになって眠れないのをなだめたり結構大変でした。幼少の頃から私はたいていのことは内に秘めて耐えたり、この人には何か言っても分からないと感じたら何も言わず黙って身を引くのを常としていました。人に全面的に依存したり甘えたりすることが出来ない質だったので、そこまで気を使わせる姪には内心閉口しました。
やっぱり面倒なんですよね。その時々で、感情をコントロールして、自分で自分の機嫌を取れない人たちは。
自分の娘に対しては、産院で一週間母子別室で過ごしてから、スッカリ親離れ、離れ子離れモードに入ってしまい、それをキープしていますが、それでも、べたべたせずお互いが自立できている状態をずっと安定させていくのはなかなか苦労がいります。
出来ることは自分でするけど、どうしても助けの必要な時には、何をしてほしいか口に出してお願いする意思表示が出来るような雰囲気をお互いつくれる人間力を養うには親元で甘えてばかりではダメで、よその家にお世話になるのがいいと思われます。
娘は4歳の時、私の夏期スクーリングと秋に行った教育実習で合計100日、実家の祖父母の家に預かってもらいましたが一度も泣いたり、拗ねたり、困らせることはなかったようです。それ以前にも海外旅行に何度も行ったり、いろいろな経験をさせてきたのと、自分の道は自分で切り開くように、自分で何か交渉する癖を付けさせていたからかもしれません。いつも親切な誰かが気を回したりしてくれるとは限りませんので。
ナターシャは本当になれない暮らしに適応しようとしていると感じます。
明日と明後日の朝が終わると広島と東京の見学を終えた後、10月の初めにオーストラリアに戻ります。
感謝していること
昨日、お別れパーティでナターシャのお母さんと会いました。娘に来年の3月に逢いましょうとにこやか日本語で話しかけてくれました。素敵な先生あり、お母さんでした。
小学生の3,4年の時、伯父夫婦の家に一人で2,3日泊った経験がありますが、何をするにも一々気を遣い、洗濯物は全部袋に入れて、家に持って帰った記憶があります。
伯母が気を回して、洗濯物を出すようにとか、必要な食べ物や飲み物を持ってくるような気配りをそんなにしない大雑把な人だったので戸惑いました。
東北の震災の後の春休みの1週間、当時小学校5年だった姪が一人で遊びに来ましたが、そのときは預かる側でしたが、ホームシックになって眠れないのをなだめたり結構大変でした。幼少の頃から私はたいていのことは内に秘めて耐えたり、この人には何か言っても分からないと感じたら何も言わず黙って身を引くのを常としていました。人に全面的に依存したり甘えたりすることが出来ない質だったので、そこまで気を使わせる姪には内心閉口しました。
やっぱり面倒なんですよね。その時々で、感情をコントロールして、自分で自分の機嫌を取れない人たちは。
自分の娘に対しては、産院で一週間母子別室で過ごしてから、スッカリ親離れ、離れ子離れモードに入ってしまい、それをキープしていますが、それでも、べたべたせずお互いが自立できている状態をずっと安定させていくのはなかなか苦労がいります。
出来ることは自分でするけど、どうしても助けの必要な時には、何をしてほしいか口に出してお願いする意思表示が出来るような雰囲気をお互いつくれる人間力を養うには親元で甘えてばかりではダメで、よその家にお世話になるのがいいと思われます。
娘は4歳の時、私の夏期スクーリングと秋に行った教育実習で合計100日、実家の祖父母の家に預かってもらいましたが一度も泣いたり、拗ねたり、困らせることはなかったようです。それ以前にも海外旅行に何度も行ったり、いろいろな経験をさせてきたのと、自分の道は自分で切り開くように、自分で何か交渉する癖を付けさせていたからかもしれません。いつも親切な誰かが気を回したりしてくれるとは限りませんので。
ナターシャは本当になれない暮らしに適応しようとしていると感じます。
明日と明後日の朝が終わると広島と東京の見学を終えた後、10月の初めにオーストラリアに戻ります。
感謝していること
昨日、お別れパーティでナターシャのお母さんと会いました。娘に来年の3月に逢いましょうとにこやか日本語で話しかけてくれました。素敵な先生あり、お母さんでした。
