私たち人間は何か考える時、慣れ親しんだやり方や現在偉いと思われている誰かの教えを信じて真似をします。
それが真理なら真理を受け取れますが、そうでない場合がほとんどです。
真理とは本当にシンプルなものであり、今、この場で即、賜れるものなのです。
しかしながら、疑い深い人間にはそれが信じられません。
このように言う私も真理との邂逅まで30年近くの年月を要しました。
その間、紆余曲折を経て、ようやく自分が思い描いていた偽物の真理を永遠に葬り去させていただきました。もう二度とそれは出てきません。疑いは全く晴れました。
それと同時に真理が私と一体になりました。
二つのことを同時に言い表せないので、文章で表現すると前後しますが、同時に起こる体験です。
「廻心」と真宗はいわれます。
一生涯、ある人で一回、無い人はゼロ回。
生きている今、六道を出離して迷いを抜けることができます。
御仏に対する疑いが微塵もなくなり、それから先の人生は全てをかの仏さまにおまかせする人生と転じ変わります。
懺悔と感謝の日暮しが始まり、それが死ぬまで続きます。
また煩悩を持ちながら、御仏の御名を称えつつ、安寧や満足感で満たされます。
いままで煩悩は苦しみでしかなかったのが、よろこびの種になります。これは煩悩即菩提と言われます。
小学1年の6歳の子どもでも、文字の書けない人でも、知恵・才覚のない世間では愚鈍と思われる人でも、今、ここで救われる教えです。
ただ、非常に残念ですが、縁がない人は救われることはありません。
誹謗中傷して去っていくばかりです。
六道界ばかりでなく、人間界でも人間らしい悲しみとよろこびが交錯するなかで、この迷いを晴らそうと思い立った人しか聞けません。
世間的な知恵のある人も、裕福だったりしてこの世の春を謳歌している人もなかなか聞けません。
自分は賢いのにお前のような愚かなものの言うことをなぜ聞かないといけないのだとか、この世がこんなに楽しいのだからそれが迷いでも全然構わないし、救われたいなどと思ったことはない、余計なお節介をするなというように、反対に攻撃してきます。そうなれば、黙って身を引くだけです。親・兄弟・姉妹・親友でもご縁のない人に話すと無視され、どんどん疎遠になります。嫌われ、縁が切れることもあります。
御仏との御縁のある人に先に話さないとならないので、恩もあり情もあるのですが縁が熟すのを遠くで見ているしかありません。後回しになってしまいます。
自分救われたのも不思議、人さまにお話ししてその方が救われるご縁になれたのもまたそれ以上に不思議です。
8月末から9月初旬までイギリスで仏縁の深い方々に遇える機会が巡ってきました。そのまえに、アジアの今は真友となった方に、英語で御仏のお話をすることができました。救われたかどうかはその方と御仏の間のことですから、しばらく注視していきますが、本物なら一生涯、御仏と共によろこびに包まれる人生を送ることができます。とてもよろこばしい限りです。
感謝していること
御仏と宇宙の全てのことに感謝しております。
それが真理なら真理を受け取れますが、そうでない場合がほとんどです。
真理とは本当にシンプルなものであり、今、この場で即、賜れるものなのです。
しかしながら、疑い深い人間にはそれが信じられません。
このように言う私も真理との邂逅まで30年近くの年月を要しました。
その間、紆余曲折を経て、ようやく自分が思い描いていた偽物の真理を永遠に葬り去させていただきました。もう二度とそれは出てきません。疑いは全く晴れました。
それと同時に真理が私と一体になりました。
二つのことを同時に言い表せないので、文章で表現すると前後しますが、同時に起こる体験です。
「廻心」と真宗はいわれます。
一生涯、ある人で一回、無い人はゼロ回。
生きている今、六道を出離して迷いを抜けることができます。
御仏に対する疑いが微塵もなくなり、それから先の人生は全てをかの仏さまにおまかせする人生と転じ変わります。
懺悔と感謝の日暮しが始まり、それが死ぬまで続きます。
また煩悩を持ちながら、御仏の御名を称えつつ、安寧や満足感で満たされます。
いままで煩悩は苦しみでしかなかったのが、よろこびの種になります。これは煩悩即菩提と言われます。
小学1年の6歳の子どもでも、文字の書けない人でも、知恵・才覚のない世間では愚鈍と思われる人でも、今、ここで救われる教えです。
ただ、非常に残念ですが、縁がない人は救われることはありません。
誹謗中傷して去っていくばかりです。
六道界ばかりでなく、人間界でも人間らしい悲しみとよろこびが交錯するなかで、この迷いを晴らそうと思い立った人しか聞けません。
世間的な知恵のある人も、裕福だったりしてこの世の春を謳歌している人もなかなか聞けません。
自分は賢いのにお前のような愚かなものの言うことをなぜ聞かないといけないのだとか、この世がこんなに楽しいのだからそれが迷いでも全然構わないし、救われたいなどと思ったことはない、余計なお節介をするなというように、反対に攻撃してきます。そうなれば、黙って身を引くだけです。親・兄弟・姉妹・親友でもご縁のない人に話すと無視され、どんどん疎遠になります。嫌われ、縁が切れることもあります。
御仏との御縁のある人に先に話さないとならないので、恩もあり情もあるのですが縁が熟すのを遠くで見ているしかありません。後回しになってしまいます。
自分救われたのも不思議、人さまにお話ししてその方が救われるご縁になれたのもまたそれ以上に不思議です。
8月末から9月初旬までイギリスで仏縁の深い方々に遇える機会が巡ってきました。そのまえに、アジアの今は真友となった方に、英語で御仏のお話をすることができました。救われたかどうかはその方と御仏の間のことですから、しばらく注視していきますが、本物なら一生涯、御仏と共によろこびに包まれる人生を送ることができます。とてもよろこばしい限りです。
感謝していること
御仏と宇宙の全てのことに感謝しております。
