伊勢物語の筒井筒では幼馴染として成長した男女がやがて結婚しますが、男に別の女が出来ます。女はそれを責めるわけでも詰る訳でもなく男を送り出します。男は別の女のところに行くふりをして元の女の様子を伺うと、綺麗に化粧をして、別の女の元へ通う男が無事に戻ってくるのを願う歌を詠んでいます。
男はそれを見て改心し、新しい女の所にはいかなくなったということです。
新しい女は慣れてくると日常の所作も気を許したものとなり幻滅します。女が自分を待っているとの歌を詠んできても、もう通わずにいました。
昔は今のように交通が発達していないし、瞬時に送れるメールのような物もありませんでした。そんな中、一般の人々は近くに住む幼馴染や従姉妹などと結婚する人も多かったようです。高貴な身分の人は教養があり、和歌のやり取りをしましたが庶民やそんな余裕はなかったかもしれません。
伊勢物語の話は遠くに出かけられる身分の人を描いたものでしょうが、それでも最後には気心が知れた所作も上品な糟糠の妻の所に戻ります。
思うに人にはその人が生まれながらに持つ感覚とか品格というものがあり、その範囲内でないと落ち着いて暮らしていけないのでしょう。
夫婦の場合、男性の方が少なくとも表面上でも、物をよく知り、生活をリードする方が生活は上手くいくようです。
たとえ女性の方が何かにつけて優れていて、言いたいことがたくさんあっても、筒井筒の幼馴染の妻のような人の方が幸せになれるのかもしれません。
大学院の授業でこの話は男性に都合のいい話ではありませんかと質問すると、先生はおっしゃいました。男性は弱く繊細で移り気な愚かしいところもあるので、それをよく理解した賢い理想の女性像が描かれているのですよと。
昔から女の家の方が裕福だったり、教養や品格が上だと男がひがみ、なかなかうまくいかないようです。日本に限らず、それをいかに出さずに男に劣等感を持たさずに楚々と淡々と暮らす知恵を文学では教えてくれているのかもしれません。
男の沽券・プライドなどは似ても焼いても食えない代物です。下手に怒らせると暴力を振るいます。それが戦争にもつながっていきます。そこまでいかなくてもモラハラやDVを引き起こす原因になります。
本来なら知恵も慈悲も備わった教養のあり、しかも精神的にタフな男性ばかりなら世の中は平和なのでしょうが、遺伝子的にも弱い男性の性と言うのはなかなか変わりません。年齢を経ると理想的な男性はいくらか現れるでしょうが、それではまだ若い女性たち自身も成長する機会を逸してしまうことにもなりますから、先生と生徒の立場で出合うくらいが理想でしょう。
このように、強い性である女性が我慢することが多くなるのは仕方のないことと割り切らないと生きてはいけないのでしょう。
口のきけない赤ん坊が快不快をほかに表現する手段がないとき、仕方なく泣いて表現するのを「ハイ、はい、分かりましたよ」お世話する母親のような気持ちでいないとやっていられないことも、現代の大人の社会でもあるのかと思います。
ただ、家庭で夫婦となるなら、あまりにも違い過ぎると離婚に至るので、勢いで走らず、よく見極め先の事まで欲に通したなら、一緒にならない方がいいし。
途中からでも暴力を振るったり、改心する見込みのない相手とわかったら、色々な手段を講じて自身や子どもの身を護らなくてはならないのでしょうが。
それにつけても、男女ともに賢く相手の地雷に触れることなく、慣れた考え方・気心の知れるように努力して、一緒に暮らす日常の中で添い遂げるのが、ドラマチックではないでしょうが病気にもならず安定した情緒で暮らせるコツなのだと感じます。
感謝していること
娘の具合もよくなったので大学に用事を済ませに行って来られます。
男はそれを見て改心し、新しい女の所にはいかなくなったということです。
新しい女は慣れてくると日常の所作も気を許したものとなり幻滅します。女が自分を待っているとの歌を詠んできても、もう通わずにいました。
昔は今のように交通が発達していないし、瞬時に送れるメールのような物もありませんでした。そんな中、一般の人々は近くに住む幼馴染や従姉妹などと結婚する人も多かったようです。高貴な身分の人は教養があり、和歌のやり取りをしましたが庶民やそんな余裕はなかったかもしれません。
伊勢物語の話は遠くに出かけられる身分の人を描いたものでしょうが、それでも最後には気心が知れた所作も上品な糟糠の妻の所に戻ります。
思うに人にはその人が生まれながらに持つ感覚とか品格というものがあり、その範囲内でないと落ち着いて暮らしていけないのでしょう。
夫婦の場合、男性の方が少なくとも表面上でも、物をよく知り、生活をリードする方が生活は上手くいくようです。
たとえ女性の方が何かにつけて優れていて、言いたいことがたくさんあっても、筒井筒の幼馴染の妻のような人の方が幸せになれるのかもしれません。
大学院の授業でこの話は男性に都合のいい話ではありませんかと質問すると、先生はおっしゃいました。男性は弱く繊細で移り気な愚かしいところもあるので、それをよく理解した賢い理想の女性像が描かれているのですよと。
昔から女の家の方が裕福だったり、教養や品格が上だと男がひがみ、なかなかうまくいかないようです。日本に限らず、それをいかに出さずに男に劣等感を持たさずに楚々と淡々と暮らす知恵を文学では教えてくれているのかもしれません。
男の沽券・プライドなどは似ても焼いても食えない代物です。下手に怒らせると暴力を振るいます。それが戦争にもつながっていきます。そこまでいかなくてもモラハラやDVを引き起こす原因になります。
本来なら知恵も慈悲も備わった教養のあり、しかも精神的にタフな男性ばかりなら世の中は平和なのでしょうが、遺伝子的にも弱い男性の性と言うのはなかなか変わりません。年齢を経ると理想的な男性はいくらか現れるでしょうが、それではまだ若い女性たち自身も成長する機会を逸してしまうことにもなりますから、先生と生徒の立場で出合うくらいが理想でしょう。
このように、強い性である女性が我慢することが多くなるのは仕方のないことと割り切らないと生きてはいけないのでしょう。
口のきけない赤ん坊が快不快をほかに表現する手段がないとき、仕方なく泣いて表現するのを「ハイ、はい、分かりましたよ」お世話する母親のような気持ちでいないとやっていられないことも、現代の大人の社会でもあるのかと思います。
ただ、家庭で夫婦となるなら、あまりにも違い過ぎると離婚に至るので、勢いで走らず、よく見極め先の事まで欲に通したなら、一緒にならない方がいいし。
途中からでも暴力を振るったり、改心する見込みのない相手とわかったら、色々な手段を講じて自身や子どもの身を護らなくてはならないのでしょうが。
それにつけても、男女ともに賢く相手の地雷に触れることなく、慣れた考え方・気心の知れるように努力して、一緒に暮らす日常の中で添い遂げるのが、ドラマチックではないでしょうが病気にもならず安定した情緒で暮らせるコツなのだと感じます。
感謝していること
娘の具合もよくなったので大学に用事を済ませに行って来られます。
