生きていくときに何を基準とするかはとても重要です。
  この基準、つまり何に焦点を合わせる言動を取るかで、人生が大きく変わることを知っている人がどれだけいるでしょうか。
  おそらく、こんなことは考えたことがある人も少ないのではないかと思われます。

  仏教では自分自身を知るために3枚の鏡というたとえがあります。 
  「自分」「他人(他の人間)」そして「仏(真理)」の3つです。
   自分がいいと思うこと、自分の得になることばかり考え行動すると、利己主義というレッテルを張られます。また自分に対しては甘くなることが多いのでそれほど正確な鏡ではなさそうです。
  
   他人の目を気にして、自分がそうとは思わないことをしたり、勝ちたいとかよく思われたいとかを考えると、嘘をついたり誤魔化す人も出てきます。気が進まないのに何かして、相手がお礼を言わないと怒りがこみ上げます。やってやったのだからお返しをしろと恩着せがましくもなります。心の底からして差し上げたいとしたことなら、そうなならないはずですが。自分の都合でどうにでも映るのでこれも紛い物っぽいです。

  仏(真理)に救われた人は、自分や他の人間の思惑や利害で生きることを超えています。そして既におまかせしている仏さまならこうするだろうということを実践して生きているので気が楽です。生きてよし、死んでよしの人生遊びの境地で、諦観出来ることが多いので、そんなに剥きにならず、人に譲っても構いませんし。

 威張ろうとか、名誉が欲しくてならないとか、人間最大の恐怖である死の不安もなくなり、いつもお金や物を蓄えていないと大変だということもないので、呑気なものです。
 足や身体を痛めるハイヒールも脱ぎ捨て、ばさばさ邪魔なつけまつげも、料理をするとき邪魔なネイルアートをしなくてもいいです。
 道を歩く知らない誰かに振り返って欲しいとも、仲間内で外見で抜きんでなくてもいいですから。
 どうせやがて年を取るのだし、洗濯した衣服や磨いた靴や櫛を入れた髪や自分に相応の小ざっぱりとした持ち物があれば十分です。

 仏さま(真理)・光に向かって生きていたら、一緒に居て、相手も自分が気を遣わなくて一緒に居るだけで楽しく温かい人や、素晴らしい人なので教えていただくことが多い人などとより多くの時間を共有していけるようになるように感じます。
 価値観の同じ人が集まって来てくれて、お互いに支え合い助け合える人生を意識しなくても送れるでしょう。
 学びや御仏の願いをお伝えするためにちょっとしんどいこともやってくるでしょうが、それも克服できないことはないでしょうから、大丈夫でしょう。
 
 元々の心持ちが仏さまと同じであるならば、そこから出て来ることが佳くないことであることはあり得ません。全て予定通り、順調に進むようなことばかりが起きます。このように心底信じられます。これは救われたら痛感さえられることです。
 どうか一日も速く、今、救われてください。
感謝していること
 今日は学校が休みの日だったので、ゆっくりできました。
 月曜日・木曜日は予習する科目が3つずつありハードです。火曜日は休み、水曜・金曜日もまだ、ちょっとだけ楽です。大学院に入り、無理やり勉強する機会を作ったようなものかもしれません。大学の関係者のみなさまには心より感謝しております。