その人の置かれている状態が幸せかそうでないかは、幸、不幸どの状態にいる方がその人が人生から問いかけられている使命を果たせるかによるものなのかもしれません。
 順境でもそれに感謝して頑張れる人、逆境に耐えている状態でやる気が出る人など人それぞれなので、どんな状況がいいのかは臨終の息の切れ際になるまで分かりません。

 ある方が今日お誕生日でしたので、お祝いのメッセージを差し上げると、
「自分が存在していることで誰かが笑顔になっているのか、をものさしとして生きていきたいと思います」とお返事を頂戴しました。
 誰かの「笑顔」は儲かった、損したとかいうこと以上に真理を賜れたとか、自分の志を遂げる何かの希望になったとか、そういうことでの笑顔であったならもっともいいのにと感じました。
 それから、ある人が真摯に精一杯、全く手抜きをしないで生きていることに対して、本当に素晴らしいと「感動」できたときの笑顔なら本当に自分の存在価値があったと思われます。

 喜怒哀楽を超えた人間としての真摯さ・奇跡のような感動は昔の遠くの偉人からではなく、今、身近な自分と同じように生きている人たちがもたらしてくれるのではないかとふと感じました。
 また、それを誰かに求めるのではなく、自分自身が普段、真摯に手を抜かず潔く生きているそのままが、誰かの心を動かせたらそんな素晴らしいことはありませんね。
 感謝していること
  羽生選手、葛西選手の活躍を拝見させていただき、その人生の機微や努力の過程をいろいろ知り、私も頑張ろうと思われます。