学校で習うことなどほとんど役に立ちませんでした。
生きていく上で大切なことは、学校に入る前の小さい頃に、おばあちゃんや両親が、そして親戚や周りの大人が教えてくれました。
学校に入ってからは先生たちや習い事の先生たちから勉強や技術以上に、生き様を背中で見せていただき、いろいろ学ばせていただきました。
シャイな少女だった私は、あまり質問をしませんでした。
その代りになさることをじっと見て、仰ることをじっと聞いていました。
卒なく何でもこなす無難な方だったので、あまり注意を受けることもなく、先生方とさほど関わることもありませんでした。
よくよく、考えると小さい頃から今に至るまで、あまり質問というものをした記憶がありません。聞く前に自己流で始めていました。それが仇となって高校や大学の受験で要領がよくなくあまり実力を発揮できませんでした。だからその反省から子どもは塾に通わせたり、私が情報を集めていますが。ただ、情報や方法が分かっても、勉強するのは本人なのでそこはどうにもなりませんでした。しないよりましという程度なのかもしれません。
また、長い事、東京まで通った大学受験の予備校は情報を教えてくれるところだったのでしょうが、そこに行って授業の後、勉強をするためのペースメーカーでした。あまり授業は活用できなかったのですが、それはそれでそういうことになっていたのかもしれません。
その後の資格試験は自己流でしたので、保育士は6回くらいかかってようやく合格にこぎつけました。途中実技を免除してもらうために、幼稚園教師の資格を取ったり大変ではありましたが、小学校教師の認定テストは問題集と参考書を3,4冊買って、4日間でほとんど寝ないで勉強して受かったので、おそらく試験には相性というのもあるのかもしれません。大体の試験は、努力したことが反映されるとは感じています。
このようなことも含めて、今まで、試験勉強や宗教で感じていることがあります。
自分で出来る人は、聞くよりも先に始めているということです。
どうしたらいいか聞いている時間が勿体ないようです。
まず始めてみて、不都合が出来たら微調整するために、そこで初めて誰かに聞くようです。
聞かなくても本に書いてあったり、誰かが向こうから教えてくれたり、何かのきっかけで分かったりして、聞かなくても済むこともあるようです。
宗教団体では座談会で手を上げて聞く時間が初めはありましたが、そのうち予め集められた質問に答える形式になり、自由に聞けなくなりました。
質問はたまに出てきましたが、根本的なことを尋ねるには、一対一で話しながらどこが分からないかを聞いていくやり方でないと難しいと感じました。
ただ、それをするような団体でも、そこの代表者でもなかったのです。彼は大衆説法しかしませんでした。
会員が増えるにつれ、どんどん彼は姿を隠し、説法の他では何をしているのか分からなくようになっていきました。これではこの会に属している意味がないと止める決意をしました。
相手が言っていることはいくらでも嘘がつけます。でも、その人が今、していることや、過去にしてきたことは誤魔化しがききません。
今回の都知事選挙の候補者だった宇都宮健児さんはサラ金やオームと戦いたくさんの人の役に立ってこられました。そして、前回と今回2度も身を挺して率先垂範で私たちにお手本を見せてくださしました。
実際、直接、質問は出来ませんでしたが、私はたくさんの影響を受け前を向いて生きていける勇気や希望を頂戴しました。私のように言動を拝見してたくさんの人が実践に結びつけたるきっかけを賜れたのではないでしょうか。
聞く前に身体が動くような人でないと、何かを成し遂げられないと思われます。
ましてや、聞くことにも躊躇しているような人は、結局自分からは何もできないで一生他人の後ろについて行って、その人たちに裏切られると、文句や愚痴を言うような人たちだと私は感じています。
まず、行動、そして、困ったことがあれば「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というおばあちゃんの口癖のように遠慮なく聞いたらいいでしょう。
ただしよろこんで教えてくれる人を選んで。
勿体ぶって教えてくれないような器の小さい人とは付き合わないことです。
そんな人と関わると、後でお金などを請求されたり、悪口を言いふらされたり、トラブルが待っています。
くれぐれも付き合う人は選んでください。
たくさんの人と関わりを持っていると、他人をすぐ見抜けるようになります。
今年になってから、3回以上関わってダメという人とは、時間が勿体なくて、気分が悪くて嫌なので、ちょっとでも「あれっ」と思うような人とはお付き合いをハッキリお断りすることにしました。そうしたらとても気分がスッキリしています。
感謝していること
子どもの通学用の自転車を買いに行きました。古い自転車も引き取って、名前も書いていただきました。防犯の為、後ろのカギだけでなく前にも、もう一つ鍵を付けました。その鍵自体をどこにしまったか忘れないことを念じています。
生きていく上で大切なことは、学校に入る前の小さい頃に、おばあちゃんや両親が、そして親戚や周りの大人が教えてくれました。
学校に入ってからは先生たちや習い事の先生たちから勉強や技術以上に、生き様を背中で見せていただき、いろいろ学ばせていただきました。
シャイな少女だった私は、あまり質問をしませんでした。
その代りになさることをじっと見て、仰ることをじっと聞いていました。
卒なく何でもこなす無難な方だったので、あまり注意を受けることもなく、先生方とさほど関わることもありませんでした。
よくよく、考えると小さい頃から今に至るまで、あまり質問というものをした記憶がありません。聞く前に自己流で始めていました。それが仇となって高校や大学の受験で要領がよくなくあまり実力を発揮できませんでした。だからその反省から子どもは塾に通わせたり、私が情報を集めていますが。ただ、情報や方法が分かっても、勉強するのは本人なのでそこはどうにもなりませんでした。しないよりましという程度なのかもしれません。
また、長い事、東京まで通った大学受験の予備校は情報を教えてくれるところだったのでしょうが、そこに行って授業の後、勉強をするためのペースメーカーでした。あまり授業は活用できなかったのですが、それはそれでそういうことになっていたのかもしれません。
その後の資格試験は自己流でしたので、保育士は6回くらいかかってようやく合格にこぎつけました。途中実技を免除してもらうために、幼稚園教師の資格を取ったり大変ではありましたが、小学校教師の認定テストは問題集と参考書を3,4冊買って、4日間でほとんど寝ないで勉強して受かったので、おそらく試験には相性というのもあるのかもしれません。大体の試験は、努力したことが反映されるとは感じています。
このようなことも含めて、今まで、試験勉強や宗教で感じていることがあります。
自分で出来る人は、聞くよりも先に始めているということです。
どうしたらいいか聞いている時間が勿体ないようです。
まず始めてみて、不都合が出来たら微調整するために、そこで初めて誰かに聞くようです。
聞かなくても本に書いてあったり、誰かが向こうから教えてくれたり、何かのきっかけで分かったりして、聞かなくても済むこともあるようです。
宗教団体では座談会で手を上げて聞く時間が初めはありましたが、そのうち予め集められた質問に答える形式になり、自由に聞けなくなりました。
質問はたまに出てきましたが、根本的なことを尋ねるには、一対一で話しながらどこが分からないかを聞いていくやり方でないと難しいと感じました。
ただ、それをするような団体でも、そこの代表者でもなかったのです。彼は大衆説法しかしませんでした。
会員が増えるにつれ、どんどん彼は姿を隠し、説法の他では何をしているのか分からなくようになっていきました。これではこの会に属している意味がないと止める決意をしました。
相手が言っていることはいくらでも嘘がつけます。でも、その人が今、していることや、過去にしてきたことは誤魔化しがききません。
今回の都知事選挙の候補者だった宇都宮健児さんはサラ金やオームと戦いたくさんの人の役に立ってこられました。そして、前回と今回2度も身を挺して率先垂範で私たちにお手本を見せてくださしました。
実際、直接、質問は出来ませんでしたが、私はたくさんの影響を受け前を向いて生きていける勇気や希望を頂戴しました。私のように言動を拝見してたくさんの人が実践に結びつけたるきっかけを賜れたのではないでしょうか。
聞く前に身体が動くような人でないと、何かを成し遂げられないと思われます。
ましてや、聞くことにも躊躇しているような人は、結局自分からは何もできないで一生他人の後ろについて行って、その人たちに裏切られると、文句や愚痴を言うような人たちだと私は感じています。
まず、行動、そして、困ったことがあれば「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というおばあちゃんの口癖のように遠慮なく聞いたらいいでしょう。
ただしよろこんで教えてくれる人を選んで。
勿体ぶって教えてくれないような器の小さい人とは付き合わないことです。
そんな人と関わると、後でお金などを請求されたり、悪口を言いふらされたり、トラブルが待っています。
くれぐれも付き合う人は選んでください。
たくさんの人と関わりを持っていると、他人をすぐ見抜けるようになります。
今年になってから、3回以上関わってダメという人とは、時間が勿体なくて、気分が悪くて嫌なので、ちょっとでも「あれっ」と思うような人とはお付き合いをハッキリお断りすることにしました。そうしたらとても気分がスッキリしています。
感謝していること
子どもの通学用の自転車を買いに行きました。古い自転車も引き取って、名前も書いていただきました。防犯の為、後ろのカギだけでなく前にも、もう一つ鍵を付けました。その鍵自体をどこにしまったか忘れないことを念じています。
