栴檀は双葉より芳し
これは事実だと子どもを6年まで育てて実感しています。
「なぜ、合理的で直線的な段取りが出来ないのか?」
「なぜ、感謝の言葉がスッと出ない?」
「頭は働いているのか?」
「なぜ自分から進んでしないのか?」
「なぜ要領がよくない」
「なぜ、ドアや蓋を完全に閉めないのだろう」
「なぜ、お菓子などのゴミを散らかすのか?」
「なぜ、洗濯物を洗濯器や籠に入れないのか?」
「出来ない問題は分かるまで徹底してやらず残す神経が分からない」
「なぜ、分からないことを納得できるまで聞かないのか?」
「なぜ、感情を剥き出して生きていられるのか?」
「なぜ、自分で計画を立てそれを遂行できないのか?」
「なぜ、言われたことをすぐ取り掛からないのか?放っておけるのか?」
「なぜ、成績が普通なのか?」
「なぜ、人を馬鹿にする言葉を口にできるのか?」
「なぜ、返事をしない?」
「なぜ、ご飯粒を茶碗に残して平気でいられるのか?」
「なぜ、乱暴で適当な文字が書けるのか?」
「なぜ、御仏に救われているのに御恩報謝の気持ちが行動に出ないのか?」
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ・・・・・・
子どもは私にとって、とても不可解で扱いにくい者でした。おそらく自分と同等かよりできる子どもを持った人はきっと楽なのだろうと感じています。
時代が違うとはいえ、3歳で私が出来ていたことや気配りができず、本当に何度実際やって見せても、言い聞かせても無駄でした。親子だからなのだとしたら、もう他人に任せるしかありません。
それほど世間的にも何も優れていない私がこう思うのだから、本当に将来どうなるのかと感じています。
中学校や高校で、身内でない先生たちから、本人が得意なことを見出していただき、それに対して、いろいろ学び、鍛え、人生再出発して欲しいです。
もしかして、子どもが大らかで細かいことを気にしない、私の意識を超えるような大人物であるのなら、これらも全て「杞憂」なのかもしれませんが・・・・・・
感謝していること
連れ合いや両親や友だちがいてくれたお蔭で、かなりストイックな私は何とか今まで子育てがしてこられました。真摯で優秀でやる気がある人たちしか、色々な学びを私は教えることが出来ない情けない指導者なのかもしれないと感じています。それも補ってもらえ、子どもも息抜きが出来たのかもしれません。
これは事実だと子どもを6年まで育てて実感しています。
「なぜ、合理的で直線的な段取りが出来ないのか?」
「なぜ、感謝の言葉がスッと出ない?」
「頭は働いているのか?」
「なぜ自分から進んでしないのか?」
「なぜ要領がよくない」
「なぜ、ドアや蓋を完全に閉めないのだろう」
「なぜ、お菓子などのゴミを散らかすのか?」
「なぜ、洗濯物を洗濯器や籠に入れないのか?」
「出来ない問題は分かるまで徹底してやらず残す神経が分からない」
「なぜ、分からないことを納得できるまで聞かないのか?」
「なぜ、感情を剥き出して生きていられるのか?」
「なぜ、自分で計画を立てそれを遂行できないのか?」
「なぜ、言われたことをすぐ取り掛からないのか?放っておけるのか?」
「なぜ、成績が普通なのか?」
「なぜ、人を馬鹿にする言葉を口にできるのか?」
「なぜ、返事をしない?」
「なぜ、ご飯粒を茶碗に残して平気でいられるのか?」
「なぜ、乱暴で適当な文字が書けるのか?」
「なぜ、御仏に救われているのに御恩報謝の気持ちが行動に出ないのか?」
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ・・・・・・
子どもは私にとって、とても不可解で扱いにくい者でした。おそらく自分と同等かよりできる子どもを持った人はきっと楽なのだろうと感じています。
時代が違うとはいえ、3歳で私が出来ていたことや気配りができず、本当に何度実際やって見せても、言い聞かせても無駄でした。親子だからなのだとしたら、もう他人に任せるしかありません。
それほど世間的にも何も優れていない私がこう思うのだから、本当に将来どうなるのかと感じています。
中学校や高校で、身内でない先生たちから、本人が得意なことを見出していただき、それに対して、いろいろ学び、鍛え、人生再出発して欲しいです。
もしかして、子どもが大らかで細かいことを気にしない、私の意識を超えるような大人物であるのなら、これらも全て「杞憂」なのかもしれませんが・・・・・・
感謝していること
連れ合いや両親や友だちがいてくれたお蔭で、かなりストイックな私は何とか今まで子育てがしてこられました。真摯で優秀でやる気がある人たちしか、色々な学びを私は教えることが出来ない情けない指導者なのかもしれないと感じています。それも補ってもらえ、子どもも息抜きが出来たのかもしれません。
