何かが分かった、知らされたといっても、認知の度合いには幅があります。また過ちも、頭で考えて分かったのか、心から納得して二度と同じ過ちはしないと知らされたのかでずいぶん違います。
 「ありがとう」「感謝します」と口で発する言葉でも、普通の人でも心がこもっているか、口先だけなのかは感じられます。
 
それなのに、なぜ心のこもらないお礼の言葉を発するのでしょう。相手の目を見ないで、笑いもせずに発する有難うは冷たく乾いて周りを不機嫌の渦に巻き込みます。
 考えてみてください。笑うことや言葉に心を込めることはそんなに大変な労力がいるのでしょうか。
 
いつも、周りを明るくしよう、幸せな気分になってもらおうと意識した言動を取るのは、自分のためなのだということが分からない人が多いのかもしれません。
 
「情けは人のためならず」ということを下手に人に情けをかけると、甘えたり、つけあがるので、何もしないのがよいという風に解釈している人たちはとても勿体ないことをしています。

 考えてみればすぐわかります。そんな風な人たちと一緒に居たい人はいません。反対にいつもどんな時でも機嫌よく愛想よく情緒が安定して、困っているとすぐ手を差し伸べてくれる優しい人はみんなの人気者です。

 ただし、先のようなマイナス思考の、横着で何をするのも億劫な人は、根が暗いので、明るい人を避けたがります。明るく接してこられるのを嫌がります。自分も明るくしなくてはならないのはかなわないし、面倒だしそんなことをしたら、自分がしているように相手にバカにされ、利用されると思ってしまうようです。

 今まで、信じても、信じても、たくさん裏切られた人ほど、斜に構えたり、一生懸命な人のことを悪く言ったり、足を引っ張ったりする傾向にあります。今生では直らないかもしれませんが、その人たちがどうであろうと、自分は自分で御仏や周りの人たちを信じて明るく生きていくことが肝要だと私は感じます。