ちえさま みまさま こんばんは かずです。
ちえちゃん、回答ありがとうございます。
①,②はよくわかりました。その通りだと思います。
③は私の場合は、
「薬を飲みさえすれば、あっという間に病は全快して、死をも超越した未来永劫の幸せの身になれます。」だから「どんなに素晴らしい医者や薬があろうとも自分の病は特別重いので治せるはずがない」と思いながらも薬の力を期待して飲みます。そして薬が効いて初めて薬の力を信じるということになると思います。
どうでしょうか。
かずちゃん みなさま こんばんは ちえです。
①②は分かってもらえたようで嬉しいです。
問題は③ですよね。これがややこしくてしぶといんです。これが分からなくて輪廻を繰り返すともいわれます。
かずちゃん、はなから信用していない医者や薬を飲む人はいないと思いますが、いかがでしょうか?
ここでいう薬とは、ビタミン剤などのサプリメントを飲むような感覚で、何となく薬が効いたというような薬ではないのです。
仏教で私たちの人間の病は「難化」とか「難治」とかいわれる重い病なのです。
当の本人はそれに気が付いていませんが。
御仏が尊い願いを立ててくださっていると聞いても、そんなことではちっともよろこべず、目先のお金や名誉や食べ物や異性などに目を輝かせ、大騒ぎして争ったり、殺し合ったりするような本性を持っています。
それほど、真理や真実などとは程遠い実態である私たちは、そのお薬の効能を浴びるほど聞かせていただかないと信じられないのです。
もし可能なら、かずちゃんに私は何億でも上げるからその薬を疑いを全く入れずに、飲む覚悟に今なってほしいです。
薬が効いて初めて薬の力を信じるというのは理にかなっているようですが、何だか「後出しじゃんけん」のような感じもします。
実際、信じていない薬は、もしかしたら毒かもしれないし、絶対に飲まないと思います。
本当の幸せになれる頓服のようなものだと言われたら、余計疑ったり、副作用を気にして飲めないのではないでしょうか。
ちょっとした健康法などなら、簡単に信じられても、阿弥陀仏が命がけでつくられた南無阿弥陀仏の御名号のお薬は、なかなか信じられず、タダだといわれても、「はい」と疑いなく信じて受け取ることは困難なのです。
受け取れない理由の一つとして、私たち人間の自惚れがあります。
信じられない、疑っているというのは、御仏の上に立つ心です。
信じられないというのはお力を大したことがないと思っているのです。
幼稚園生が大学の教授の講義をあれこれ批評することが出来るでしょうか?
中には優秀なお子さんもあるでしょうが、一般のお子さんには何を言われているかさえ分からないでしょう。
同様に命がけで、迷いを断ち切りさとりの世界へ導くから早くお薬を飲んでくださいといわれても、誰が迷っているのだと知らん顔です。
ある人が自分は何もわからないと言われていたので、
「本当に何もわかっていませんね」といったら、怒り心頭でそれっきり連絡が途絶えたという笑えない話もあります。
本人は何でも知っているわかっていると自惚れていたのに、それが自惚れだと見透かされたことに腹を立てたのでしょうが。それほど、人間の自惚れや迷いは根深いのです。
たとえて言うと、畑にしようとした土地に、ちょっとした小さい根っこがあって、農作業の邪魔だから取り除こうとしたら、掘っても掘ってもとれなくて、結局その土地全部に根が張っていたというような感じでしょうか。
この自惚れについては、何度も説明しないとならないでしょうね。(つづく)