いまだに先生と呼ばれることに抵抗があります。きっと一生そうなのではないかと感じます。

 教えられることがあって、少しは役に立っているのでしょうが、たまたま私の方が年上だったり、年が若くてもそういう出遇いの縁だっただけです。

 全てを知る智慧もないし、専門外はわからないことばかりです。


 先生癖が付くのをずっと私は恐れて、子どもたちにも名前をさん付けで呼んでもらおうとしましたが、子どもはそれを不安に思うようなので、結局子どもたちには「先生」と呼ばれてしまっています。

 将来、大学生以上とご縁がある時は、「名前か苗字にさん付け」で呼んでもらいたいと思っています。


 僧侶や医者や議員さんたちもそうですが、先生と呼ばれる人は人の言うことを聞き入れない人が多いです。自分の考え方や習慣が正しいと思い込んでいる人が周りには多数います。

 誰かが何か言ってくれたことには、一度自分のしていることを見直すきっかけだと思うように私は心がけています。

 歳を取ると遠慮して誰も何も言わなくなるのに、わざわざせっかく言ってくれたことは有難いと嬉しく感じます。


 生死に関わること以外は、学校の帰り道に別のコースを取るとか、寝室を変えてみるとかするような感覚で、そういう考えがあるなら試してみようかと思うお気楽なところも人間には必要かもしれません。

 自分の考えだけが正しいという言動をしていると困ったときに助けてもらえないだけでなく、普段でも楽しめることや有意義なことをする機会を失ってしまうのではないかと感じます。


 子どもたちがいろいろ勧めてくれることとか、面白がっていること、流行っていることなどを自分の娘に聞きながら、自然に寄添って楽しみながら交流を深めています。

 どんなときにも私は、どちらが上でも下でもない人と人の関わりを楽しんで生きています。