人生の織物の縦糸が理念・目的・意味・使命・役割だとしたら、
横糸は実践だと生きてきて感じます。
人生に目的がなければ、理念や使命がなければ、ただ単に欲を満たして、子どもから大人になり老人になって死んでいくだけです。
それなら、動物と大差はありません。
人間だけができること、それは迷いの世界から抜けてさとりの世界に入ることです。それを自覚している人は甚だ少ないです。
目先の欲得に心を奪われ、小利口な小学問ばかりで満足する人をたくさん見てきました。
彼らの縦糸は緩々です。
横糸は損得・利害関係・好き嫌い・勝ち負けで自分に都合のよいものだけを通しますので、中々丈が長くなりません。
たまにしか織りませんので、織り目もばらばらで綺麗ではありません。
大局を見ることが出来ないおっちょこちょいの若者や思慮の浅い人たちは派手でしなくてもいい事をしたがります。
「腕がなって仕方がない」などといって乱暴で物騒なことで世の中や人が変えられると思い込んでいます。
派手な方にばかり目が向いて、「やるべきこと」と「引っ込んでいた方がいいこと」の区別がわからなくなりがちです。
人は学校にいったり、しごとなどで集団の中でしたくないことも引き受けなければならないことを学びます。
堪忍袋の緒が切れる寸前の修羅場を何度も潜り抜け忍耐を覚えます。
さらに結婚して家庭を持つと、いちいち相手の言動を気に留めていたら生活が成り立たなくなりますし、まして子どもを持ったら、自分が関係ないことでも他人に頭を下げる機会が増えていきます。
ここで怒ると子どもが何か言われるかもしれない、この役は引き受けたくないけれど子どものためにやらせていただくとか色々考え、謙虚にもなります。これは生活なので待ったなの実践として横糸を不断に紡ぐことになります。
真っ当に生活している人は、年齢の数だけ、織り目のそろった長い織物が織れてきます。
謙虚さと思いやりの詰まった織物は他人に安心を与えます。
おじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれる人たちの醸し出す雰囲気が私は好きですが、理念と実践のバランスのいい織り目の均一な上等の織物のような人生を送ってこられたからでしょうか?
