初めから、教祖や団体をそれほど信じていなかった私は、教えが間違っていたと分かったら、何の未練もなく、カルト団体を抜けられました。
団体に所属していたのは、説法を聞くためだけだったので、会長や会そして構成員に対しては、止める時、驚くほど淡白な気持ちだった事を覚えています。
だから、まず、教えが間違っている事が、そして組織が教祖やその家族、幹部の名利の為に存在し、末端会員はそれらに貢ぐ、働き蟻や働き蜂のようであると言葉を尽くして説明しました。
それが、分かれば家族は簡単に止めると思っていましたので。
ところが、問題はそんな簡単な事ではなかったのでした。
二年間提示した、私の資料を読み解く家族の脳には、MCのフィルターが掛かっていて、何一つ、受け取れていなかったことに気が付きました。
努力すれば報われる事もありますが、ことカルトの家族に至っては、何の足しにもならないどことか、反って溝が深まって行きました。
出した結論は、宗教中毒(依存)でした。
素人の私には、もうこれ以上、どうする事も出来ないとサトリマシタ。
世間でも、人格者と言われている人の中にも、アルコール依存症やDV加害者もたくさんいます。
毎日外で、普通に働いていても、家で酒浸り、家族に暴言を吐く、実際身体に危害を加える人はいるのです。そういう人は、外では、裏の顔を出しませんから、家族以外は、事実を知らないし、信じられないことが多いです。
人と人が暮らすのに、上下関係なんて要りません。お互い様です。
自分が自分がと、自分の手柄を誇示して、喜びを与える事知らない可哀想な人たちがいます。
こんな人たちの共通点は、自分が一番可愛く、自分さえ良ければ、人はどうなっても構わないことです。
それが、家族の中で、顕著に出ます。
依存症の人たちは宗教に嵌って、のめり込んでいる人と似ています。
自分さえ助かったら、気分が晴れたら、家族はどうなっても構いません。
家族が、酒や宗教に反対しようものなら、黙らせようと暴言を吐き、相手の人格を否定して、心をズタズタに引き裂きます。
家族は、だんだん自分が悪いのだと、思い込んでいきます。
そして、自分がこの気の毒な人を支えないととか、そばにいて立ち直ってもらわないととか、共依存の状態に入り込んでいきます。
初めは、自己肯定力があった人も、徐々に中毒者の毒に冒されて、中毒者以上の苦しみを背負うことになります。
依存者、共依存者もどちらも、自分を肯定できず、自分の価値を否定しています。人からの評価を求め続けます。自分で、これでいいと満足することがないので、いつも人の様子を伺います。寂しいヒトタチなのです。
今のまま、このままの自分を丸ごと受け止めてもらえない限り、死ぬまで見果てぬ夢を追い続けます。
今ある状態を、受け止めそのままを肯定できるには、親やそれに準じた人やカウンセラーなどの専門家に小さい子どものその人を、癒してもらうのがよいようです。
今、家族にそこまでして、立ち直ってもらおうという気持ちが全くないのが悲しいです。
やり方が拙かったのでしょうが、家族での修行はこれで終わりにしたいです。
もっと、私の能力でも出来る、役に立てる、私の本来の場所を見つけて、そこで笑って生きていきます。
いい経験が出来ました。
MCされた人には、依存症、中毒の人には、何を言っても、受け取ってもらえない、こちらが消耗するだけだとよくわかりました。
