某会に行かなくなって、2年ちょっとになります。今でも、つい思い出すと、許せないと思ってしまいます。
普段は忘れているんですが、何かの拍子に思い出すと、まだ許していない自分がいます。これも私なのだと、最近は認めて、そんな自分を許す事にしました。
 同じ苦しみをもっていらっしゃる方々と気持ちを共有したくて、私のもう一つのブログに書いた今日の記事を引用して載せます。一緒に進化して、幸せになっていきましょう。

タイトル それでも許せない私を許したい

  本文 野口嘉則さんの『鏡の法則』になぜ許せないのか、次のように書いてありました。
  ○ 許すと自分が損をしてしまう
  ○ 自分が嫌な思いをしたのは100%相手の責任であり、自分に責任はない
  ○ 自分の責任を認めるより、被害者でいる方が楽である。
  ○ 相手は罪の報いを受けるべきである
  ○ 恨みは復讐しないと晴れない
  ○ 自分を守る為にはゆるしてはいけない

 どれもこれも、その通りだから許せないのだと思いましたし、私もそうでしたし。
 今も、根本的には変らないかもしれませんが、ちょっとだけ、真正面からぶつかるのを避けて、誤魔化しています。
 
 許してしまうと、私も損をするような気がしていました。
 自分ばかり苦しんで、眠れなくても、所詮、一人相撲だったのです。
 相手は、自分はいい事をしてやっている信じ込んでいますので、高いびきで、すやすや夢の中でしょう。
 反対に考えてみました。
 許さないと自分は得をしたり、相手は損をするのか?
 私が許しても、許さなくても、相手は私のことなど、何とも思っていないのだから、どちらでも同じじゃない?
 相手にされていないのに、いつまでも、気を揉んでも損をするのは、結局私だけ。
 相手は損も得もしません。
 関わるだけ損だし、そんな人の事を、考えている時間が勿体無いし、損。
 これまでの損を、また、その人に関わって取り戻す、更に輪を掛けた損は止めて、エネルギーはほかに向ける事にしました。

 「嫌な思いの責任は100%相手だと思ってもいいでしょ?何が悪いの?100歩譲って、私が悪かった事は、過去世からかどうかは分からないけど、相手と縁があり、よせばいいのに、その縁を深めてしまった事」という相手も私にはいるんです。
 だから、こう思ってもいいし、、無理に許さなくてもいいじゃないかと思います。
 許せない、許さない自分を認めてあげたらいいと私は思います。
 私に責任はないのだと、自分を責めないようにしたらいいと思います。
 だって、責任がないんだもの、被害者なんだものと、開き直っていい場合もあると思います。
 いいか悪いかは別として、自分が出来ない事は出来ないって言ってもいいんじゃない?

 相手が因果応報の苦しみを受けたらいいと思うかは、私はどうでもいいです。人の不幸を願っている自分が、何だかスッキリしないし、嫌です。決して、いい子ぶっているのではないのですが。
 なので、相手の存在を自分の心から、消し去る事で、存在しない者の行く末は考えないことにしています。だから、自分や人の手を借りて、復讐することもナンセンスです。関わりたくないのですから。

 自分を護りたいなら、変な人とは関わらないに越した事はありません。
 許す、許さないというより、その人の亡霊に縛られる事から自由になったら、いいのではないのかと思います。
 記憶から消し去ることで、関わる事をやめてしまうことが必要な相手もいるのです。

 親や周りの人で、ちょっとした誤解から、許せないなら、学んで自分が進化することで、かかわりの中で、解消できる事もあるでしょうが、それでも今は無理と感じるのなら、いないものと考える私を、許してもいいのではないでしょうか?
 そして、少し落ち着いて、あの人はああいうことをして、私にこういうことを教えてくれた、有り難い人と思えるようになったらそれでもいいし、墓場まで、ずっと忘れ去っていようと決心しても、どちらでもいいと思います。

 相手が、反面教師と思える人になるまで、私のピッチから、どんどん退場してもらっている人が、数え切れないほどいる私を、私は許します。
 学んで進化している途上の私は、仏様ではないので仕方ないと、壊れないように、せいぜい甘やかしています。
 だから、また、少したったら、別の考えをしていても、大目に見て下さいね。