私は、幼い頃からずっと、
「いま死んだらどうなるのか」
という感覚とともに生きてきました。

それは悲観ではなく、
私にとっては当たり前の現実でした。

 

もし、この瞬間が臨終だったら。

そう思いながら生きていると、
人に意地悪をしたり、嘘をついたりして、
誰かを苦しめることはできません。

謝ることもできないまま命が尽きたら、
取り返しのつかない後悔が残るからです。

 

だから私は、自分も他人も少しでも良くなるようにと、それだけを心がけて生きてきました。

 

けれど最近、はっきりと気づいたことがあります。

世の中には、私とは、まったく違う前提で生きている人がいるということです。

平気で人を苦しめたり、本心を出さずに人の気を引こうとしたり、傷つかないように立ち回る人たち。

そうした在り方の根底には、
「いま自分が死ぬかもしれない」という感覚が、ほとんどないのだと思います。

っていたのだと感じました。

 

信心を賜るまでは臨終に「後悔しない生き方」をしようとしてきました。

けれど、他力真実信心に出遇って知らされたのは、私の心の中に、真理など最初からなかったということでした。

 

どれだけ潔く生きようと、それは死の問題の解決とは関係がなく、

むしろ私の内側は、真理への疑いで満ちていたのです。

 

その疑いは、厚い蓋のように、
真理が通過、透過するのを拒んでいました。

そしてその蓋は、自分の力では外すことができませんでした。

 

そのことに気づかされたこと。そして、その蓋が外されたこと。

それはすべて、
私の力ではなく、真理の側から与えられた出来事でした。

 

いま私は、発信を続けています。

何かを教えようとしているのではありません。

ただ、「いまここ」で真理と出遇い、生死を超えるという体験が起こること。

それを、自分の身を通して示された事実として、伝えているだけです。

 

これまでに何十人もの方が、目の前で、真理との邂逅を果たされました。

けれどそれは、私の力ではありません。

 

私はただの「指」です。真理という「月」を指し示す、それだけの存在です。

 

指そのものに意味はありません。
見るべきは、その先にある月です。

 

しかし、実際に体験し、
それを示す人がいなければ、教えはやがて、言葉だけのものに

 

これまで真理の体験の多くは、人から人へと伝わってきました。

これからも、そうだと思います。

たとえば、法然聖人のように、書物を通して深く体験に至る例はまれです。

また、体験があっても、それを伝える術がなければ、広がることはありません。

 

だからこそ私は願っています。

この回心を求めている方に、「いまここ」で真理が通過、透過する体験が
起こってほしいと。

 

私がしているのは、ただのアシストです。

私という存在を通して、真理があることを知り、真理を受け取った方の中で閉ざされていたものが、外れていく。

 

その出来事が起こり続ける限り、

私はこれからも、「月を指す指」として、この歩みを続けてまいります。

「何だかなぁ」という感じです。抗議を受けた箇所を譲歩しつつ、よく咀嚼し切れていない新しい事項を盛り込んだり。核や軸が未だしっかり根付いてなくて、ブレブレなんでしょう。宗教に根差してないのは仕方ないけど、今の時点で、大学のあるべき姿についての哲学的、思想的見地を語れる教育者・研究者がいないのでしょう。非常に残念です。法学部と先端研で関わった生え抜きとしては。

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学校という場で起こる、嫉妬やからかい、そして本音とは逆の行動――。
それらを見聞きするたびに、「どうしてこんな不毛なことが起こるのだろう」と感じてきました。

実際に、ある方から伺ったお話では、容姿端麗で頭も良く、運動もそこそこできたために、
女子からは嫉妬され、男子からは気を引くためにわざといじられるという状況が続き、
学校生活がまったく楽しくなかったそうです。

後になって振り返れば、自分が何か悪いことをしたわけではなく、
周囲がまだ未成熟だったという理解には至ったものの、
「なぜあの場所にいなければならなかったのか」という思いは残る。

そして、こうも言われていました。
「もし飛び級のように、精神年齢や理解度に合った環境に進める制度があればよかった」と。

 

しかし、ここで一つ、私自身がどうしても外せない視点があります。

それは、無常ということです。

私たちは皆、「いつか死ぬ」と知識としては知っています。
けれども、「次の瞬間に死ぬかもしれない」という実感をもって生きている人は、ほとんどいません。

もし本当にその実感があれば、

・嫉妬して意地悪をすること
・本音と逆の行動で気を引こうとすること
・相手を下げて自分を保とうとすること

そうしたことが、どれほど空しく、後悔の種になるか、
自然と感じられるはずです。

 

学校の中で起きていることの多くは、

・同じ年齢で一律に並べられること
・比較される構造
・承認を求めざるを得ない環境

そうした仕組みから生まれている面も確かにあります。

だからこそ、

・理解できたら先に進む学習
・到達段階に応じた運動
・芸術は評価しない

といった工夫によって、
比較や摩擦を和らげることは可能だと思います。

また、宗教的な一貫教育の中で、

・価値観の軸を育て
・飛び級など柔軟な進路を用意し
・国内外との短期交換留学で視野を広げる

そうした仕組みも、一つの方向性として考えられるでしょう。

 

しかし、どれほど制度を整えても、
それだけでは十分ではないと感じます。

なぜなら、

人の中にある「比較する心」「承認を求める心」そのものが、無常を見失うところから強まっていくからです。

 

今この瞬間が、二度と戻らない時間であること。
次の瞬間があるとは限らないこと。

このことが本当に身に迫っていれば、

・どう見られるか
・誰が上か下か

そうしたことに振り回される力は、自然と弱まっていきます。

 

逆に言えば、

無常感が抜け落ちたとき、人は目の前の小さな優劣や感情に囚われ、

・嫉妬し
・傷つけ
・本意でない行動を重ねてしまう

のではないでしょうか。

 

ですから、環境を整えることも大切ですが、それと同時に、

「今死んだらどうなるのか」という問いを失わないこと

これが、より根本的なところで人の在り方を変えていくのだと思います。

 

子どもたちが、

・比較の中で苦しむのではなく
・自分の歩みを大切にしながら

それでいて、

・この一瞬の重みを感じて生きていく

そんな在り方に少しでも近づいていくならば、
制度の工夫も、きっと意味を持ってくるのではないでしょうか。

特化した私に対する質問でもなく、明確な目的もない。
しかも実際に対面で出会ったこともない人と、SNS上でやり取りを重ねる――
そのような関係に、今の私には時間を割く余裕がありません。

正直に言えば、面倒に感じてしまうのです。

けれども、これは単に「忙しいから」ではないのだと思います。
むしろ、自分の中で大切にしたいものや、向かう方向がはっきりしてきた結果、
時間の使い方が自然と選別されてきた、ということなのでしょう。

 

では、そのように目的もなく関わってくる人たちは、暇なのでしょうか。

一見するとそう見えるかもしれません。
しかし、少し見方を変えると、それは「暇」なのではなく、
エネルギーの向け先が定まっていない状態とも言えます。

何かに深く打ち込んでいるわけではない。
けれども、心のどこかに不安や空白がある。
その埋め合わせとして、人との接触を求める。

その結果として、
誰にでも話しかける、関係の深さを問わない――
そういう関わり方になってしまうのではないでしょうか。

 

そしてもう一つ、強く感じることがあります。

それは、
「今、自分が死ぬかもしれない」という感覚の有無です。

人は本当に、死を自分の問題として感じているかどうかで、
時間の使い方がまったく変わります。

死が遠いものとしてしか感じられていないとき、時間はどこまでもあるように思えてしまう。
だからこそ、意味の薄いやり取りにも時間を費やせてしまう。

しかし、死が現実の問題として迫ってくると、
あるいは、生死を真剣に見つめた経験があると、
無駄な関係や曖昧なつながりは、自然と削ぎ落とされていきます。

それは努力して切るのではなく、
残るものだけが残るという感覚です。

 

ここで思い出すのが、エドガー・ケイシー の語った視点です。

ケイシーは、人の在り方を「地下階に住む人」と「地上に住む人」という形で示しています。

地下階にいる状態とは、目の前の反応や感情、欲求に縛られ、どうしても視野が狭くなりやすい状態です。

一方、地上にいる状態とは、全体を見渡すことができ、自分の時間や関係性を選ぶことができる状態です。

この違いは、単なる知識や能力ではなく、
生き方そのものの違いから生まれてくるもののように思います。

 

私が感じている違和感は、
単に「相手が面倒だ」ということではなく、このような視点の違いから生じるズレなのかもしれません。だからこそ、無理に理解しようとしたり、すべてに応じようとする必要はないのでしょう。関わる人は限られていきます。けれども、その分だけ、残る関係は深くなっていく。

 

なお、SNSの中で「いいね」だけをくださる方については、また別の受け止め方をしています。

それは、「この記事が気に入ったから、それを知らせたい」
という形で関わってくださっているのだと感じています。

そこには過度な要求もなく、踏み込みもない。
ただ静かに「読みました」「よかったです」と伝えてくださっている。

ですから、そこに対しては特に何かを感じるというより、そのまま自然に受け取っています。

 

また、このようなことから、実名で、かつほとんどが対面したことのある方々とつながっている
Facebookでの記事投稿は、現在ほとんど行っていません。

本来、対面の関係がある場であれば、より丁寧で意味のあるやり取りが可能であるはずです。

しかし現実には、SNSという形式の中では、関係の深さに関わらず、同じように情報が流れ、
同じように反応が返ってくる。その中で、自分の時間や意図と合わない関わりが生じることもあり、結果として、投稿そのものを控えるようになりました。

 

時に、「関わらない」という選択は、冷たく見えるかもしれません。

しかし、それは決して拒絶や排除ではなく、自分の生を大切にしている結果なのだと思います。

限られた時間の中で、何に心を向け、誰と関わるのか。その選択は、そのまま「なぜ生きているのか」という問いと重なっています。

 

これからも私は、自分の時間と関係を大切にしながら、本当に意味のある出会いと、深い関わりを大事にしていきたいと思います。

そして同時に、人それぞれが異なる段階や視点の中にいるということも、静かに受け止めていきます。

昨年末に本を出版し、少しずつ新しい活動を広げています。 最近の私は、身体を動かすことで「学びの本質」を再発見する、とても刺激的な日々を過ごしています。

西京極での「本物」との出会い

先日、西京極の卓球教室へ行ってきました。 ご指導くださったのは、現在、日本代表として活躍する松島輝空選手の親戚の方でした。

「経験者ですよね」と声をかけていただき、 立命館大学で博士論文を提出した年、卓球サークルで身体を動かすために卓球を楽しんでいた日々を思い出しました。 (翌年に大学院を修了しまし。あの時期、運動で気分転換ができてよかったです。)

先生の教えは、驚くほど合理的。 「フォアは体をねじって振り切り、すぐに次に備える」 「ラケットは打つ瞬間だけ力を入れる」

この「脱力と集中」の切り替えが、何より大切なのだと教わりました。

水泳も、卓球も。「今」の形へ

水泳でも、最近は「体幹を意識して、浮力で楽に泳ぐ」今風の泳法をジムの日替わり講習で習いました。 昔のやり方に固執せず、進化し続ける技術を「素直にそのまま受け取る力」。 これがあるかどうかで、上達のスピードが全く違うのだと実感しています。🏊‍♀️

振り返れば、論文を書いていた数年間……。 私は常に「戦闘状態」で、肩に力が入りっぱなしだったのかもしれません。

今は意識して肩甲骨を寄せ、肩を下げ、深い呼吸を心がけています。 心拍数を落として酸素をたっぷり取り入れると、身体だけでなく心もふっと軽くなるのを感じます。

新しい扉を開けます

そんな「脱力」の心地よさを知った今、新しい挑戦を決めました。 本日、対面のYouTube作成講座名刺・チラシ作成講座をインターネットで申し込みました!

昨年新調したパソコンをやっとフル活用できそうです。💻✨

YouTubeでは顔出しはせず、私の著書を自らの声で少しずつ音読し、 大切に描いてきた絵やイメージを添えてお届けする予定です。 「ライトハウス」へ持っていくための準備でもあります。

若い先生、そして人生の先輩である先生。 両方の視点から、最先端の技術を教わってこようと思います。

おわりに

「卓球、水泳とも選手になるほど熱心ではないから」変なこだわりもなく、 新しい知恵がスッと入ってくるのかもしれません。

日常の中で「ふっと肩の力を抜く瞬間」を常の心に留め置き、技術向上に努めます。

京都の街が桜色に染まる季節。 先日、大学のゼミ時代からの友人と一年ぶりに再会しました。

京都駅のデパートにある豆腐料理店でランチを楽しみ、東寺とその近くの神社の桜を愛でる。 一見、穏やかな再会のひとときでしたが、交わした会話の中に、現代の「教育」や「生き方」の本質を問うような、鋭い違和感が潜んでいました。

家族のために尽くしてきた歳月

彼女は現在、実家の両親の介護で毎日のように通っていますが、実はこれまでも、義理のご両親と同じ敷地内に住み、介護の末に既に見送ってこられたそうです。 お子さんたちも立派に育て上げ、息子さんは有名国立大から国家公務員へ、娘さんは公立大から県庁職員へ。お見合い結婚した、お連れ合いも公的な団体職員として安定した職に就かれて、定年後、嘱託で働いています。

これほどまでに家族の基盤を支え、尽くしてきた彼女に対して、夫が「早く働け」と急かすという話を聞き、私は強い違和感を抱かずにはいられませんでした。 介護という尊い労働を担い、家を守ってきた彼女に、これ以上何を求める必要があるのでしょうか。

彼女が11時から4時という限られた時間を「家族に内緒で」過ごさなければならないという現実に、今の日本の家庭が抱える閉塞感を見た気がしました。

「身に付く」ということの厳しさ

彼女は、学生時代に習った洋裁や機械編みを「もうできないし、やる根気もない」とこぼしていました。

私は、物事を「完璧に身に付ける」ためには、単なる自己満足ではなく、**「誰かに伝える」「仕事にする」という明確な出口(覚悟)**が必要なのだと考えています。 自分だけの楽しみで終わらせるうちは、それは本当の意味で血肉にはならない。研究者として、あるいは一人の表現者として、私自身が身をもって感じてきた峻厳な事実です。

一方で、親として子供に与える「教育」や「経験」については、また別の視点を持っています。

娘の習い事と、目に見えない「収穫」

私自身、一人娘には本人がやりたいと言うままに、多くの習い事をさせました。 生後半年からの公文に始まり、ピアノ、そろばん、習字、英会話、水泳、日舞、体操、卓球、剣道、そして学習塾……。

結果として、それらをプロとして教えたり仕事にしたりすることはありませんでした。 私自身、最初から娘の資質を見極め、「何か一つでも気に入るものがあれば」という趣味の幅を広げる程度の気持ちで、学校と共に通わせていたからです。

しかし、一見「何も残らなかった」ように見えて、実は血肉になっているものもあります。 例えば卓球は、中学・高校のスポーツ大会で毎年クラスを優勝に導く原動力となりました。剣道も、不測の事態で身をかわす動作など、日常のふとした瞬間に役立っているかもしれません。

何より、幼少期から何度も連れ出した海外旅行を経て、娘は「外国人と一緒にいても緊張せず、違和感なく過ごせる」という感覚を手に入れました。

記憶にはなくても、身体が覚えていること

目に見える「職業」や「資格」に直結しなくても、豊かな時間の中で育まれた感覚は、技術を超えた**「身体化された知恵」**として娘を支えています。

友人の息子さんや娘さんは、エリート職に就きながらも、多忙な仕事で二人ともうつ病で苦しみ、特に息子さんは休職を経験されたそうです。 親が「良かれ」とお膳立てした「経験」が、もしも「成果」や「スペック」を出すための義務になっていたのだとしたら、それはかつての彼女の習い事と同じように、いつか「根気」を失わせる原因になってしまうのかもしれません。

完璧に身に付けるべき「仕事」の厳しさと、ただ共に過ごし、世界を広げる「遊び」の豊かさ。 東寺の五重塔を背景に咲き誇る桜を見上げながら、人生を豊かにする「本当に身に付くもの」とは何なのか、深く考えさせられる一日となりました。

 大学院に通学している時から駅前の巨大ジムが気になっていました。修了後、一年近くになり一月から三月までのお試し期間で家族で入会しました。娘は後三か月継続するようです。

 受講者が七十代、八十代のお姉さん、お兄さん方に馴染めず、私はいつも黙って黙々と週替わりタイムで四種類の泳法を習っていました。一番後ろで、前の人が半分くらい行った後、ぶつからないように遠慮しながら泳いでいました。昔と今と少し泳ぎ方が変わっている様で、手と足と分割して教えられるので何だか変な感じでした。何回か続けていくうちに昔の勘が戻ってきた感じでした。でも、バタフライはなかなか難しいです。

 すでに長年通っているグループがあるようで、特に世間話をすることもなく、ロッカーで着替えると「お先に失礼します」と静かに周りに告げて変える日々でした。ところが、昨日、明日の個人ロッカーの撤去時間が修了時の22でいいのかスタッフに確認した後、いつもプールで泳ぎを習っている方が「明日で逢えなくなるのは淋しくなるね」とわざわざ言いに来てくれました。てっきり場違いの場所にいる私は嫌われていると思いこんでいたので驚いたと共に、何だか少し嬉しく感じました。

 スタッフもトレーナーも優しく親切な方ばかりだったので、高齢の方々も安心して寛いでおいででした。島津体育館で同じような年代の人が毎日ダンスをしているのと同様に、ジムの隣のスタジオではズンバや少し激しい運動も楽しそうに踊っておいででした。私は踊りはアクアビクスに一度参加しただけでした。後は少人数、女性限定の体幹トレーニングを数回受けました。ジャグジー、大浴場、サウナ、ミストサウナなどでもゆっくりできました。

 近所に、佛教大学が来て、ジムの一階の駐輪場の一部がカラオケボックスになるなど、二条駅周辺も少しずつ賑やかになってきています。立命館大学の朱雀校舎があったくらいなのに、高層階のホテル、映画館、大型スーパー、生協など立地的に便利なのでジムも益々発展されることを念じます。

 週替わりの泳法の講習では、力を抜くこと、肩甲骨を寄せて肩を下げること、丹田を意識することなど知っていたのに、すっかり忘れていたことを思い出すことができました。数字として、血圧、心拍数、血中酸素濃度も徐々に下がっていきました。水に浮く感覚がとても心地よかったので、またどこかで泳ぎたいです。耳栓と水中眼鏡を付けることにしていたので、目や耳を気にすることなくいられました。

 今日は時間があれば、撤収の前に、少しだけ泳いだり、自転車で運動出来たらいいなと思っています。三か月長いような短いような不思議でダウンコートから薄手のウインドブレーカーに服装が身軽になったとき修了できました。

 ジムのお試しは明日で修了します。3月からはプールで泳ぎを習い、ジムの隣のスタジオで体幹トレーニングなどにも参加し、有意義な時を過ごせました。

 ある講習の後、参加していた大学生に来月から私は仕事があるので、今月でひとまず終えるといいました。 

 どんな仕事をしているのか聞かれたので、「お坊さん」と答えると「お坊さんて、髪を剃った男の人というイメージがあったので不思議です。実は2年前のおじいちゃんのお葬式での法話がとても良かったので、どんな話をしているのか聞かせてください」と言われたので、9枚のイラストをその場で書いて話をして、別の日に自著の博士論文とワークショップのコピーを渡すと慶んでくれました。

 いつも僧侶をしているというと、「ふーん」という感じでそのまま別の話に移行するので、とても不思議な気分でした。そういえば、ワークショップをして他力に救われていった人たちは、特に話したいということではなく、ふとしたきっかけで「あなたがしている話を聞かせて欲しい」と言われて話したのを思い出しました。

 何気なく初めて訪れたカフェのおかみ、バス旅行でたまたま隣になった人、卓球のコーチなど、特に本を無理やり買ってくださいと勧めた訳でもないのにお買い上げいただいたことも不思議でした。いろいろなところに御縁があるものなのですね。少しばかり驚いています。

 空を見上げると大きな烏が勝ち誇ったように電柱にいました。

 古新聞を出しに外に出たとき、ごみをまとめて置かせていただいている家の前でごみ収集の方と、その家の人が塵取りのようなものを挟んで、烏に食い荒らされたごみを車に入れていました。ネットの隙から入り、餌をあさっていたのは私が見つけた烏でした。

 古新聞を出した後、ほうきを以て、収集車が取り切れなかったゴミを一緒に片づけていると、やはりその家にゴミを置かせていただいている別の人もほうきを持って一緒に片づけました。そのとき、「○○さん、『あらまあ!』と言ってさっき通り過ぎていきましたね。」と言っていました。その方はお出かけのようでした。でも別の言い方があった気がします。「ごめんなさい。急いでいて一緒に片づけられなくて」とすまなそうに通り過ぎることもできたはずです。ご近所のことなので、お互い、どんなことで助けられるか分かりません。

 回覧板にゴミのネットはきちんとかぶせるように注意書きを入れるよりも、四隅にペットボトルを今後は置いておかれるそうです。何か少し食べ物でも差し上げようかと思いました。当たり前のように過ごしている日常で、いろいろな方々のお世話になっていることが知らされます。

 真理(仏さま)と一体になったことを慶びましょう。と法座で言われて、「はて?」とおもったことはありませんか。

 布教使自身はどのような慶びがあるのでしょうか。それについて何も説かれていないことがほとんどです。何が嬉しいのか分かりません。

 他力真実信心に救われたとき、私は「真理(仏さま)を疑う疑情を自分の力で晴らすことができなかった」と知らされると同時に全てをゆだね、自分が何かすることで死後がどうにか変わることがないと信知させられました。その時から、死ぬことの恐怖が完全に消え去り、一度も以前の死を怖れ、その解決をしようという気持ちは出てきていません。

 目先の煩悩である名利がどうにかなったとしても、死が来たら全て置いていかねばなりません。そんなことじゃなくて根本的な迷いを抜けて、真理と共にあり続けられる回心の体験を慶ぶことを望む人に私はお伝えし続けます。それしかできません。