「太師様の御恩に報いるために命懸けで戦いまする」
正兵が叫ぶ。
兵力で勝る健景隊であるが、真面目に戦っているのは信洛の兵五百のみであり健景直属の二千五百は動こうとせず、ただ戦いの趨勢を見守っているだけであった。
四倍の兵力差にも拘わらず、酒井隊を川の対岸へと押し戻し更に、一町余り進撃していた。
そこに酒井隊の騎馬部隊が嘶きを響かせながら、跨乗した甲冑武者数百が槍を携え駆け足、さらに速度を上げて襲歩で砂塵を巻き上げ、それが風になってこちらへと
吹いてくる。
砂塵で視界が悪くなる中、騎馬を持たない信洛隊は槍、太刀で立ち向かう。恐れ慄き逃げる者は一人もなく、勇猛果敢にひたすら前に進んだ。
四十尺の長巻を手に馬場正兵は名のある武将を打ち取った際に分捕った星形の兜を被り、腹巻、下半身は赤褌という歪な姿であった。
信洛の兵隊はこのような者が少なくなく、鍬形付の筋兜、頭形兜の者もいた。半数は鉢巻か陣笠であった。
正兵は七尺を超える体格にも拘わらず敏捷で幾多の戦いで、名だたる武将の首を挙げてきた。正兵は南条郡の有力庄屋の長子として生まれ、幼き頃から武士に憧れ、
十年前にやってきた信洛の家臣に取り立てられたのであった。
弟の寛時は実の弟であったが、同じく庄屋で親類の猪木又四郎の養子に迎えられた。しかし、兄と同様に
戦い武功を挙げ立身出世を夢見ていた。同じく家臣としてお召し抱えとなり、先の一向一揆鎮圧では初陣にも関わらず敵の首十六を挙げ、目覚ましい活躍をし、褒美に七尺五寸の大太刀を拝領したのだった。
長大な大木のような長巻を手に正兵は敵の騎馬武者の群れに向けて疾走し、二十尺程を翔け跳び、水平に一振りすると、武者の首が十余り吹き飛び、馬に乗った首なき骸が崩れ落ち、主を失った馬の群れが彷徨った。それを掻き分けるように一直線に残りの騎馬隊が信洛隊に襲い掛かり、数に劣る信洛の手勢は槍で突かれ次々に打ち取られる。
それを見た信洛は馬を走らせ騎馬の群れに突き進み、自慢の大太刀を振るい一騎で一歩も退かず血に塗れ次々に武者を切り倒す。
「三河衆は女子ばかりか! つまらぬのう!」口元に笑みを浮かべ思わず愚痴をこぼす。
信洛にとって敵が強ければ強いほど闘争心を燃え上がらせる、苦しい顔を見せれば数に劣る味方は一気に崩れる恐れがある。
一軍の総大将たる者は苦戦を強いられても、最前線に立ち、敵を切り伏せるところを見せる事が味方の戦意を鼓舞することに繋がるという信念があった。
長柄槍、長巻、太刀など、個々で違う武器で戦う信洛勢は集団戦術に疎く、騎馬、弓、鉄砲の各部隊が纏めて掛かってくると弱点を露呈し、個人武芸の強さに頼る信洛隊は損害を増すばかりであった。
騎馬隊だけでなく、鉄砲隊、弓隊も投入し雨霰の如く矢弾が降り注ぎ、信洛の兵を斃していく。凄まじい鉄砲隊の放つ轟音と硝煙が風にたなびき、耳に響き、鼻をつく。
それでも信洛隊はなおも屍を越えて、突撃に突撃を重ね、敵中深くで突出して戦った。信洛、正兵、寛時も突出部で四方を敵に囲まれながら、大太刀、長巻を振るって
雲霞の如く襲ってくる敵を薙ぎ倒していった。
鉄砲の弾丸が信洛達を襲う。信洛の仁王胴に数発命中するが、厚い鉄の鎧は弾丸を通さず無傷であったが、多くの死傷者を出した。正兵は右肩、寛時は右太腿に銃弾を受けた。
それを見た信洛が二人を気遣う「正兵、寛時大事ないか。闘魂があれば傷など大したことはない、そんな傷は蚊に刺されたも同然じゃ」
「太師様。 お気遣い有難き幸せに存じまする、戦の負傷は武士の誉れでござる」
正兵は傷に耐えながら答える。
「戦で死ぬるは武士の誉れでござる。 元気があれば何でもできる」
自らに気合を入れるように大音声で叫んだ。
それを見た信洛の強張った表情が思わず緩んだ。「さすがは我が鍛えし顎どもじゃ」
正兵は鉄砲隊が次弾を装填している隙に、突撃し鉄砲衆どもを次々に切り伏せる。それに続いて足を引きずりながら寛時も自慢の大太刀を振るい敵の首を挙げていった。
五百の兵も時間が経つにつれて数を減らしていき、突出部で包囲され、把握している兵は二百ばかり、突出しすぎて斃れたり、散り散りになった兵も多かった。
そこに健景隊二千五百が渡河を開始した。