マルガレーテシュタイフの姉たちとのファーストステップ-1862年 | シュタイフ(Steiff)テディベア通販 くまの小屋のブログ

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前回までのあらすじ

マルガレーテシュタイフ

マルガレーテシュタイフは、4人兄弟の3番目の子どもとしてデアブレンツギーンゲンに生まれ、わずか1才半のとき両足と右手が不自由となる骨髄性小児麻痺と診断されましたが、マルガレーテシュタイフは陽気で快活な性格を持ち合わせていました。両親は、彼女を甘やかさず二人の姉と共に学校へ通わせました。



【1862年】
姉たちとのファーストステップ

マルガレーテはやがて、裁縫を学ぶことを望んだが、彼女の父親はマルガレーテが失敗し失望するのを怖れ最初は反対しました。

マルガレーテシュタイフ


しかしマルガレーテは両親を説得させ可能性を広げるチャンスを得た。でも仕事が遅く、たびたび姉たちに手伝ってもらうが、17歳の時に裁縫師として彼女のトレーニングを完了しました。

1862年にマルガレーテは、姉のマリーとポーリーンと共に自宅で針仕事を請け負うようになった。

その仕事が評判となり顧客はどんどん増え姉妹はギーンゲンで最初のミシンの個人購入者になりました。

ミシン

マルガレーテは、右手で弾み車(手回しする金属の輪)を回せなかったため、単純にミシンを逆向きにし、左手で弾み車を回して右手で布地を抑えました。

やがて、ポーリーンは1870年に、マリーは1873年に結婚して故郷を去りますが、マルガレーテは単独で仕事を続けました。

マルガレーテはその夏、国内の親類や友人をあちこち訪ねて過ごし、この体験について彼女は、ドイツのことわざを引用してこう述べたという。「人は、自分に最も似つかわしくないことをしているとき最大の楽しみを得る」。



マルガレーテ シュタイフは、ポジティプで発想の転換がすばらしい女性だったのでしょうね!