前回までのあらすじ
マルガレーテシュタイフは、4人兄弟の3番目の子どもとしてデアブレンツギーンゲンに生まれ、わずか1才半のとき両足と右手が不自由となる骨髄性小児麻痺と診断されましたが、マルガレーテシュタイフは陽気で快活な性格を持ち合わせていました。両親は、彼女を甘やかさず二人の姉と共に学校へ通わせました。
マルガレーテは裁縫を学び、17歳の時に裁縫師としてトレーニングを完了した。
1862年にマルガレーテは、姉の二人マリーとポーリーンと共に自宅で針仕事を請け負うようになり、その仕事が評判となり顧客はどんどん増え、ギーンゲンで最初のミシンの個人購入者になりました。
やがて、姉たちは結婚で実家を出ますが、マルガレーテは単独で仕事を続けました。
シュタイフ社の設立への第一歩
マルガレーテの父親は、1874年に家の2階の書斎をマルガレーテのために仕事場に改造し、小さなテーラーショップを構築しました。
彼女は流行のドレスも縫ったが、やはり子供好きの彼女は一番好きな子供服を縫うことでした。
1877年、両親の家で針仕事を続けていた30歳になったマルガレーテは、姉妹の夫でフェルト製造業を地元で経営するヴィルヘルム アドルフ グラッツ(1841-1916年)は、彼女に自立に向けた一歩を踏み出すために人を雇ってフェルト製品のビジネスを起こす提案をしマルガレーテはビジネスを起こした。
アドルフ グラッツはビジネスが軌道に乗るまでの数年間は、アドバイスを与え経済面でもサポートしました。
彼女のフェルトを使った女性用ペティコートや子供用の上着が順調に売上を伸ばし、2階の小部屋が小さな工場となりました。
1879年12月8日の雑誌「Modenwelt」(ファッション·ワールド)でフェルトで作る小さな象の型紙を見つけ、それを使ってクリスマス用に小さな象の針刺し(ピンクッション)を8個作ってみることにしました。
小さな象の針刺し
は、子供たちは象を針刺しではなく荷物を引張るおもちゃとして遊び大人気となりました。
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