前回」の続きです。
 今回は、前回と同じくこの森津純子氏の文献から、1日中自室にこもり、親に「うるせえ!ほっとけよ!」と怒鳴って暴れる40歳の男性(ケース①)と、洗剤恐怖症でパニックを起こし、時には親に暴力をふるって手がつけられなくなる34歳の女性(ケース②)の相談事例(Q)と、それらに対する森津氏の回答(A)を紹介します。

《ケース①》
Q. 40歳の息子は、1日中自室にこもっています。食事も、家族のいない時を見計らってリビングにやってきます。コミュニケーションを図ろうと、声をかけるのですが、機嫌の悪い時には、「うるせえ!ほっとけよ!」と、すごい勢いで怒鳴って暴れるので、いつもビクビクしながら生活しています。

A.実は、こうした態度をとる子供さんは、自分の気持ちを言葉で上手に伝えることができないため、行動を通して、心(気持ち)を伝えようとしているのです。多くは、「今は1人で放っておいてください。誰とも話したくありません。話をするのがうっとおしいのです。自分の力で、自分の問題に向き合わせてください」と訴えています。こうしたお子さんの親御さんは、「必要以上に過保護、心配性になっている」、もしくは「親の意見、アドバイス、価値観を知らず知らず強要している」と言う問題を抱えていることが多いようです。
 子供が話す事を嫌がる理由は、次のようなものが圧倒的です。「親が子供の意見を聞き入れず、自分の意見を押し付ける」「子供の気持ちよりも、世間体を気にして説教を始める」「親は自分のことばかり話したがって、子供の話を聞く余裕がない」「子供の話を聞いて、親の方がパニックになって取り乱してしまう」
 いずれにも共通するのは「話を聞けない」と言うことです。

《ケース②》
Q. 34歳の娘は洗剤恐怖症です。家には現在、洗剤は置いていないのですが、「昔、そこに洗剤があった」「洗剤売り場を通ったから、洗剤がかかった」「食事に洗剤が混入された」といったパニックを起こし、時には暴力をふるって手がつけられない状態になります。
A.ひどいパニックや暴力を起こす人の中には、パニック障害、境界人格障害、統合失調症などの病名がついて、薬をたくさん飲んでいるケースも少なくありません。ただ、こうした人たちの多くは、精神に回復不可能な異常があるわけではありません。
 敏感な人達が、こうした表現方法を好むようになるには、いくつかの原因があります。
「周りの人が鈍感なため、激しい表現方法でないと、気持ちが伝わらなかった」「困ったことがあるとパニック、暴力を起こす人が周囲にいた」「感情エネルギーが大き過ぎたり、とても敏感過ぎたりするため、気持ちが処理しきれない」等です。
 またパニック、暴力と言う激しい表現方法は、必ず、周りの関心(エネルギー)を集めることができます。実は、激しい表現方法を好む人達の多くは、たくさんの関心や愛情といったエネルギーを求めています。そのため、「無視されるよりも、怒鳴られる、嫌われると言う形でもいいから、関心や愛情を向けてほしい」と言う歪んだ思いを持っていることがほとんどです。ですから、ある程度の愛情が満たされない限りは、パニックや暴力は収まりません。

【感想】
ケース①について
 前回の記事で、次のようにお伝えしました。
「親自身が感覚過敏で完璧主義者であるために、子どもに対してもあれこれと注文を出した結果、同じく感覚過敏の子どもが、その刺激に耐えきれずに、ドロップアウトして現在の問題に至っている」
その「完璧主義者」から突き刺される過度に強い刺激に加えて、親が「あなたのため」という大義名分の裏に隠そうとする「親が子供の意見を聞き入れず、自分の意見を押し付ける」意識や、「子供の気持ちよりも、世間体を気にして説教を始める」意識は、強い共感性を持っているHSCの彼にとっては余りにも“あからさま”過ぎて、耐えられないのではないでしょうか。
 しかし一方で、同じように、「この子のため」と言う名の下に、過保護・過干渉をしている親は、必ずしも5人に1人と言われるHSCのケースだけではないように思われます。しかし、HSC以外の子供は、「あなたのため」という言葉を信じ、それを親の優しさと信じて受け止めているのではないでしょうか?つまり、子どもの罵声や暴力という深刻な事態に陥らなかった家庭は、親の養育が適切だったというわけではなく、子どもがたまたまHSCではなかったということであり、「4/5」という確率に助けられただけの結果なのかも知れません。つまり、親が自分の過保護・過干渉を見直さない限り、今回のような問題はどの家庭で起きても不思議ではないのです。
 しかし、親の優しさと鵜呑みにしてしまった5人のうちの4人は、罵声や暴力という目立った形では無いにせよ、子どもの頃は「良い子症候群」に蝕まれ、大人になっても「アダルトチルドレン」として母親に苦しめられているのかも知れません。
 つまり、子どもがHSCだった場合、罵声や暴力に苦しむのは価値観を押し付けてきた親自身であり、それ以外の場合に苦しむのは子ども自身。誰が苦しむかの違いはあれど、親による過保護や過干渉は、結局誰かを苦しめる結果になるのだと思います。

ケース②について
「洗剤恐怖症」というので、どれだけ特殊な背景があるのだろうと思ったのですが、普通の子供に関わる留意事項と基本的な面で変わるものではないと思いました。それは次のような記述から分かります。
「こうした人たちの多くは、精神に回復不可能な異常があるわけではありません。」
「敏感な人達が、こうした表現方法を好むようになるには、いくつかの原因があります。『周りの人が鈍感なため、激しい表現方法でないと、気持ちが伝わらなかった』」
「ある程度の愛情が満たされない限りは、パニックや暴力は収まりません。」
無視されるよりも、怒鳴られる、嫌われると言う形でもいいから、関心や愛情を向けてほしい

 つまり、精神に回復不可能な異常があるわけではなく、激しい表現の仕方をしたのは、周りの人に伝わるようにしたためであり、ある程度の愛情が満たされればパニックや暴力は収まること。怒鳴られても嫌われてもいいから関心や愛情を向けてほしくて激しい表現をしたことも、親の愛情を切に願う子どもらしい考えの表れ以外の何ものでもありません。それだけ幼い頃から親の愛情に飢えていたのでしょう。
 潜在恐怖症になったきっかけこそ、HSCの感覚過敏の特性によるものだったとしても、親の愛が子どもに大きな影響を与えたということは、普通の子ども達と全く同じです。このことはケース①も同様で、本人が過保護・過干渉を受けたということは、そのケースだけが特別とは考え難いです。

 なお、ケース①に見られた過保護・過干渉は、明らかに、一定の距離を置いて子どもを見守る父性の働き(「見守り4支援」等)の欠如によるものですし、ケース②の関心や愛情の不足は、子供を受容する母性の働き(「安心7支援」等)の欠如によるものです。やはり、この二つの子育ての基本を守っていれば防ぐことができた事例であったと言えるのではないでしょうか。

 次回は、やはり森津氏の本から、子どものパニックや暴力と、“脅し育児”との関係について紹介します。