今回も、

「愛着障害の克服〜『愛着アプローチ』で、人は変われる〜」岡田尊司著(光文社新書)

よりご紹介します。


「愛着アプローチは、本人の安全基地を強化することで、本人の中に備わっている『回復しようとする力』を活性化させる方法だと言える。

 生きる意味さえ見失い、投げやりだった人も、何事にも自信が持てず挑戦することから逃げていた人も、自分の中の問題を周囲の人に責任転嫁することで自分を紛らわそうとしていた人も、愛着が安定するにつれ、自分の問題に向き合い、自分なりの答えを見出そうとし始める。大それたものでなくても、どんなにささやかでも、自分の手と力で見出した、自分なりの生き方を進んでいこうとし始める。

 そこから先は本人を信じて、本人の進んでいく後をついていくように、一緒に進んでいけば良い。もしも本人が駆け込んでくるようなことがあれば、いつでも相談できるように待ち構えてはいるが、本人の力で何とかなる間は、ただそっと見守り時々報告してくれることに耳を傾ければいい」


 冒頭の「本人の安全基地を強化する」と言うのは、私の考えに当てはめて言うと、子どもに「安心7支援」を施して親との間に愛着(愛の絆)を形成し、子どもの心の中に安全基地を作ると言う意味です。


 この「本人の安全基地を強化することで、本人の中に(もともと)備わっている『回復しようとする力』が活性化する」との指摘は、つまり、子どもに「安心7支援」を施すと、親が何もしなくても、子ども自らが現在の問題状況から回復しようと努めるという、まるで魔法のような話です。


 実はこれまでに、このことを裏付ける、実際に起きたケースを紹介していました。


《ケース①》

 卓球部のキャプテンとして頑張っていた時に怪我をして、その時母親が良かれと思ってかけた言葉が原因となって、一気に気力がなくなった中学生に対して、母親が以下4点のような愛情エネルギーを与えることに主眼を置いた支援をした結果、「ありのままでいい(無理しなくていい)」という母親からの選択肢を選ばず、公立高校の後期の受験に向けて自ら試験勉強を始めて、見事合格したというケースです。

①「第一目標を『外に出すこと』『自立させること』にしなかったこと
②「子どもに安心感を与え親子関係を修復する支援に徹したこと」
③「会話を取り戻すために手紙という手段を使ったこと」
④「子どもの求めに応じた支援をしたこと

《ケース②》
※本ブログ記事「岩手県立大学講義日記」より
 私が初めて自閉症スペクトラム障害(知的遅れ有)の子どもを担任した時のこと。その子は、前学年までは、自分を見る母親の厳しい表情に刺激されて、お母さんの顔を叩くことさえあった。その母親に、現在の「安心7支援」の元になる「セロトニン5」(見つめ、微笑み、話しかけて、ほめて、触れる)という、当時市販されていた文献で見つけた、ある5つの支援方法を紹介したところ、そのわずか数日後、学校に迎えに来た母親に対するその子の様子が一変し、すっかり“お母さん大好きっ子”になっていたというケースです。
 この母親に「セロトニン5」を紹介した時に、その母親が言った言葉が「じゃあ私にも出来そうな微笑む』あたりからやってみます」であり、それ以外の支援方法は伝えていませんでした。しかも、その男児が変化を見せたのは、母親に「セロトニン5」を伝えて僅か数日後のことであり、その間に母親が自分で考えて何らかの特別な支援を施したとは考えられないことから、その男児が母親の変化に対して、自ら“お母さん大好きっ子”になったものと考えられるのです。

 つまり、以下の愛着場面表の「①充電場面」で「安心7支援」によって母性を与えられた子どもは、自分から進んで「②行動場面」に移り探索行動を始めるということです。以後本ブログでは、このように「充電場面」から自力で回復しようとする力のことを「自力回復力」(下記緑色部分)と呼ぶことにしたいと思います。

 もう一つ、ある事例を補足します。
 一般に小学校では「自分から挨拶しましょう」という生活目標がある学校が多いと思います。一方で、時々テレビで、校門付近での子ども達の登校の様子を伝えるニュースを目にしますが、自分から子ども達に「おはようございます」と声をかけている先生方も多いようです。
 私も現職の頃、朝の登校指導をした時が何度もありましたが、校門に向かって歩いてくる子どもがいると、私は自分からは声をかけないことが多かったです。なぜなら「自分から挨拶できる子」になって欲しいと思っていたからです。ただ、その子どもを見て微笑むだけです。すると、多くの場合、子どもの方から「こんにちは!」と挨拶してくれました。
 この場合、登校してくる子ども達を見て微笑むのは母性の働きによる「充電場面」、自分からは何も声をかけずに子どもの様子を見守っているのは父性の働きによる「活動場面」と言えます。子ども達は、「見る」や「微笑む」という「安心7支援」で愛情エネルギーを注入されると、「挨拶は自分からしましょう」と言われなくても、進んで自分から挨拶するという「自力回復力」を持っているのです。
 ただし中には、しょんぼり歩いてくる子どももいます。きっと何か不安なことがあるのでしょう。明らかな問題を抱えているそんな子どもには、「見る」「微笑む」の他に「おはようございます」という「穏やかに話しかける」も加えます。明らかに意図的な愛情エネルギーの充電が必要だからです。

 さて、冒頭記述の「自分なりの生き方を進んでいこうとし始めた」後の、「本人を信じて本人の進んでいく後をついていくように、一緒に進んでいけば良い。もしも本人が駆け込んでくるようなことがあれば、いつでも相談できるように待ち構えてはいるが、本人の力で何とかなる間は、ただそっと見守り、時々報告してくれることに耳を傾ければいい」という支援者の働き。これは、上記表の「活動場面」における支援方法である「見守り4支援」(子どもに任せ、見守り、SOSがあった時には優しく教え、できたら褒める)と驚くほど瓜二つであることにお気付きでしょうか。

 岡田氏は愛着不全と父母両性との関係性、すなわち、親との心の距離が遠すぎる「回避型」は子どもを受容する母性の不足によるもの、逆に親との心の距離が近すぎる「不安型」は子どもに任せ社会的自立を促す父性の不足によるもの、という事については一切ふれていません。この関係性は遠藤のオリジナルによるものですが、正に安全基地が強化された後の「②行動場面」での適切な支援が「見守り4支援」による父性の働きであることが分かります。ここまで一致するとは我ながら驚きでした。