加害者の特徴
 さて、前回で分かったことをまとめると、次のような加害者の特徴が明らかになります。


①人間関係が苦手なことは明らか。特に距離が近い相手との関係が苦手、気に入らない他者への加害性もあった。特に家族に対しては長年の恨みの蓄積が莫大だった

②事件の僅か1年前であっても相手(近所に住む女性)によっては気持ちが安定していた

③本来は平和主義者

④大学生活が1年生から乱れた

⑤知的レベルは高水準だった

⑥親は幼少期から厳しかった


 実はこれらの特徴は、どれも、まるで“なぞった”かのように、感覚過敏が特性で人間関係にトラブルを起こしがちな自閉症スペクトラム障害(ASD)の人に頻繁に見られるものです。

 ASDとは、自閉症傾向が弱い人から強い人まで連続的に分布するスペクトラム(連続)体のうちの、特に強い“障害域”にいる人のことです。因みにその対極に位置する「傾向が弱い人」と言うのは一般の健常者のことで、健常者でもその全員が大なり小なり自閉症傾向を持っているのです。

 加えて、健常者も含んだ母集団内の自閉症傾向の分布の様子を表したグラフ(下図参照)の“山”も、健常者の山と障害者の山とは決して分立してはおらず、一つの山がなだらかなカーブを描くように分布しており、健常域と障害域の境目さえも分からないのです。以下は、そのことを表した、私が毎年出張に出向いている大学講義用のスライドです。(字が細かい部分は、一度タップして黒地画面にしてから、拡大して見てください)




自閉症スペクトラム障害のイメージ

 実は私は、今年度の大学出張講義のために新しく、あるスライドを用意しました。感覚過敏であるASDの人がその防衛本能からとるであろう“順応スタイル”をイメージ描写したもので、あくまで私のオリジナルです。



 不快に感じる外部刺激を無意識のうちにシャットダウンするシールドのようなもので覆っているイメージです。これは、刺激が多い外部環境から身を守るための一種の順応行動のようなものと考えられますが、不安感が強くなるとそのシールドも消えてしまいます。また、そのシールドの存在は、周囲はもちろん本人にさえも知られていません。


 このようにイメージ化すると、ASDのほとんどの行動特徴が説明できるようになると考えています。

 因みに、ASDの基本行動特徴は、①本人の社会性の不足、②周囲とのコミュニケーションのズレ、③想像力の欠如と強いこだわり、の3つとされています(現在は①と②を一緒にする解釈が一般的だが、私は特徴を分かりやすくために敢えて別にしている)が、これらについては、次のように説明できます。

①本人の社会性の不足→できるだけシールド内での生活に閉じこもろうとしているため

②周囲とのコミュニケーションのズレ→シールド外とシールド内とでは情報の量や質が違うため、それぞれの情報を媒介としたコミュニケーションスキルにもズレが生まれるため

③想像力の欠如と強いこだわり→普段からシールド内にいる本人にとっては、シールド外の世界については想像しにくく、安心できる自分だけの世界にこだわるため


 ASDは人間関係面の障害と言われていますが、シールドの中にいる本人が、外にいる他者との人間関係をうまく築けないのはある意味必然的です。因みに、ADHDは行動面の障害、LDは学習面の障害と言われています。


 なお、このイメージ化は、受講者の皆さんに、ASDの膨大な数の障害特性(→https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12302059855.html〜自閉症傾向が強い人ほど多くの特性が当てはまる)をお知らせする際に、ただ機械的に列挙するだけだと記憶に残りにくい、という難点を改善するために私が発案したものですが、いざ作ってみると、私自身のASDに対するイメージも明確になることに気が付きました。当該児童を前にした時に、本人の“心の内”を理解することにも役立ちそうです。改めて、人に伝えるという経験が自分自身にとっての勉強にもなるということを感じました。


本人が歩んできた人生

 先に挙げたような加害者の特徴を鑑みると普段は平和主義者だったという本人も、やはりあのシールドの中の世界にいて、いつもと変わらない生活を追い求めていたのでしょう。また、事件の僅か1年前であっても、近所に住む女性がシールドの外から接している時は気持ちが安定していました。しかも、知的レベルが健常である場合、見た目では障害者とは判断することは難しく、健常の人間だと周囲から勘違いされてしまいます。

 また、小学校から高校までの既成の時間割の通りに活動していれば済む環境下では問題なく過ごせるのですが、本人の視界に入る世界はシールドに阻まれ狭く目の前の環境しか目に入りにくいため、フリーな環境下で自分を客観視して自律的に時間割を組まなければならない大学では、やはり加害者の生活も乱れてしまったようです。

 しかも、家族間の不安感の強い状況下では、頼りのシールドも消えてしまい、僅かな外部刺激にも過剰に反応してしまうため、弟はその不適応行動を強く批判し、母親はそれを改めようと、本人に厳しく接しました。そのために元々強い外部刺激が苦手なASDはパニックを起こし、家族に対して更に激しく抵抗します。

 このような経験を家族の中で幼少期から10年以上も積み重ねた結果、加害者が蓄積し続けてきた怒りはやがて家族に対する殺意へとその姿を変え、用意周到にボーガンを用意するに至ったのでしょう。


自閉症者のこれから

 今回の事件は氷山の一角にしか過ぎません。今も同様の苦しみを感じている子ども達が全国には数多くいるはずです。そんな子供達が、周囲から誤解されたまま何年、何十年も生きていけば、同様の事件を起こす可能性も決して「0」ではありません。

 発達障害者支援法が施行されてから13年、更に、通常学級にも在籍する発達障害者に対応するための教育システムである「特別支援教育(それ以前は、障害者は特殊学級や養護学校にしか居ないとされていた『特殊教育』)」がスタートしてからは11年経った今でも、自閉症スペクトラム障害の子どもがただの「ごんたくれ」であるケースが多いのも残念ながら事実です。

 加えて、ASDによる凶悪犯罪はこれまでにも複数ありました。彼らもまた不遇な人生を歩んでいました。


 しかし、ある程度の不快な外部刺激に耐えることができ、そのため慢性的なストレス状態に置かれている健常の人達と違い、安心できる状況下でシールドによって不快刺激を完全排除できた時のASDの人は、誰よりも素直で真面目な、まるで天使のような言動を見せるのです。更に、自分のシールド内の限られた範囲の興味・関心対象に接するASDの人達(大学の研究者等多数)は、情報に広く浅く接している健常者の何倍も深く対象を追求し、社会に新しい発見を提供してくれています。

 そして、彼らに安心感を与えシールドを保持できるようにしてあげるためには、一にも二にも周囲の人達が「安心7支援」のような“穏やかで肯定的な接し方”をすることが必要であるということを、私がこれまで出会ってきた多くのASDの子ども達が教えてくれました。