今日は昨日の続きです。
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◯「この事件から得られる教訓」

 この文献では、前回の冒頭で挙げた「早期離乳」については触れられず、この筆者の専門ジャンルでもあるフロイトの性的発達理論の視点から考察が行われていました。しかし、「母親が求めた早期自立」という視点で捉えれば、離乳と排便トレーニングは同様の意味を持つものと捉えることも可能です。


 さて、この筆者は、この事件から得られる子育てへの教訓として、「躾(しつけ)は子どもの年齢や発達段階に応じて行うことを挙げています。

 ではまっとうな子どもを育てている世の中の多くの親は、フロイトが指摘するような性的発達段階の考え方を理解して養育に当たっていたのでしょうか?そんなはずはありません。「排便トレーニングは一歳半頃になるまでは無理」と言うことを姑や実の親から教わったり、「今のこの子には排便トレーニングは無理だから怒っても仕方がない」と考えて接したりしてきた、ただそれだけだったのだと思います。


 子どもにとって自力で排便のコントロールをする事は、正に未知の世界を進む「探索行動」(→https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12587878396.html)以外の何ものでもないでしょう。子どもが「探索行動」に歩み始めるためには、そのエネルギーとなる「安心7支援」のような行為によってもたらされる安心感が必要です。たとえ排便に失敗してもその子どもを認め、穏やかに肯定的に接する「無条件の愛」(→https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12361701027.html)を施す親こそが、子どもが一生の人生を過ごす上での絶対的な安全基地をもたらすのだと思います。


当時誰も指摘しなかったこと

「少年A」による凶悪犯罪は、①厳しい母親による排便トレーニング、そして②恐ろしい母親から守ってくれていた最愛の祖母と愛犬の死という「安全基地」の喪失、という二つの要因が重なって起きた、そのことが今回の文献から知ることができました。

 しかし、上記の2つの要因が重なる確率は、そう高くないのは事実ですが、“少年犯罪史上最も残忍な犯行”という程には稀な確率ではないような気持ちが今でも私の中にあります。


 実は今回の文献の他にもう一冊、ある本を取り寄せて読みました。それは、この少年Aの母親が書いた手記をまとめた「『少年A』この子を生んで…〜父と母後悔の手記〜」(文春文庫)です。その中で、私の目に留まったある記述がありました。それは以下のようなものです。

「Aは人見知りが激しく、初対面の人とはほとんど喋れないような繊細な子だった」

「弟達は昔から『おはよ、おはよ』と言っていましたが、Aだけは変わらず『おはようございます』と律儀に丁寧な挨拶をしていました」

「Aは幼稚園の頃から、変に几帳面なところがあって、服はきっちり着て、夏でも襟のあるカッターシャツを身につけソックスをはかないと気が済まない子でした。シャツはボタンを首が絞まる一番上までピチッと自分でとめていました。夏になっても同じでした」

「服装だけでなく、他にも妙に神経質な面がありました」


 これらは他でもない、感覚過敏の特徴です。「回避型」愛着不全でも、他者との交わりを避けたりパターンにこだわったりすることはありますが、母の手記からは「回避型」特有の“影ある表情”は見られませんでしたし、Aは相手が親しい人の場合はいつもその人の後にくっついて行動していたと言います。「回避型」は乳幼児期に母親にさえ心を閉ざすことで他者との交わりもダウンさせますから、相手によらず回避的態度は一貫しています。

 仮に私の推察通り、Aが感覚過敏の特徴の強い子どもであったとしたら、乳児期での厳しい排便トレーニングは、普通の子どもの何倍も辛く怖かったに違いありません。先に挙げた「厳しい母親による排便トレーニング」「最愛の祖母と愛犬という『安全基地』の喪失」という2つの要因に、更にこの「感覚過敏」という要因まで重なったとなれば、Aのような稀な行動に走ることもあり得なくはありません。


 あの事件が起きたのは平成9年でした。その後通常学級にも発達障害の子どもがいることが分かり、実際にその子ども達に配慮するための教育体制「特別支援教育」が始まったのがちょうどその10年後の平成19年です。それから更に約10年が経ちましたが、今でもなお、見た目は普通ながら感覚の敏感さが障害域にある子ども達に対する理解はあまり進んでいません。その23年前だった当時、まさかAの感じやすさが障害域にあるなどということを誰が想像したでしょうか?


子育てとこれからの社会

 最後に一つ印象に残っていることがあります。

先の「『少年A』この子を生んで…」(文春文庫)の中には、この母親がAを生んでから小まめにつけていた育児日記も紹介されていたのですが、実はその中に、問題とされたAが1歳になる前から始めた排便トレーニングについての様子が一切書かれていなかったのです。おそらくこの母親にとっては、その事が取り立てて異常な行為であるという自覚が無かったのだと思います。我が子が人よりも遅れることがないようにと良かれと思って繰り返していたのでしょう。

 子育ては誰にとっても初めての経験で、手探りの毎日ではないでしょうか。その中で、我が子に無条件の愛を注ぐことができるか、そうでないかは、実はその親自身が幼い頃に親の養育によって形成した愛着によって決定づけられている(→https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12364364609.html)のかもしれません。しかし、この世に生まれてくる子ども達は一人残らずこの国の宝です。愛着不全に陥る人の割合は約3割と言われていますが、たとえその3割の親御さんであっても、正しい子育ての仕方を認識して健全に生きる子どもを育てることができる“子育てに優しい社会”を創ることはとても大切なことだと思います。私も少しでもその力になれればと思っていますし、今回の記事もその一助になれば幸いです。